歪んだ赤い唇を包む豊かな白ヒゲと、削いだような頬。森を焼く炎の色に縁取られた偽王。傷だらけの紅玉と金で出来た冠が押しつぶす白髪は薄くまばら。真紅の長衣には金糸の縫い取り…不出来だが竜の刺繍らしい。
バックスは本当に高位の聖職者だったのだろうか。派手で悪趣味な装いからは、元の姿を想像できない。学問と命がけの奉仕を望んでテンプルの選抜試験に臨んだ、若く情熱にあふれた時が彼にもあったとは。
赤き偽王の足元にうごめくのは、心を縛られた半裸のしもべ達。滴る血が赤く彩る肌には深さも幅も違う複数の噛み傷。バックスによって転化した闇の公子と公女がつけたもの。そう、少しずつ包囲の輪を縮めてくる牙を剥き出しにした不死者の群れによって。
いや、違う。
街道沿いの小さな駅で関わった、ビアトリスにも感じた違和感。シリルの地下室には心を縛られぬ不死者までいた。彼らは闇の子というより、際限なく転化させた中から生き延びるだけの力と忠誠心を持つ者を集めただけの…奴隷以下の存在かも知れない。
先ほど階段を焼き焦がした広範囲の攻撃呪。幾人かが炎に包まれ、あがき落ちていった。金で売り買いされる身の上の者たちよりも、ぞんざいな扱いだ。
泥じみた服。墓地から這い出して以来、身なりを気にする余裕も与えられなかったか。傷無き肉体同様、意識さえすれば垢染みもほころびも復元できるだろうに。
彼らの表情から見て取れるのは、血と破壊がもたらす刹那《せつな》的快楽の期待。意識して破滅を選んでいるわけではあるまい。ただ、始祖の命じるまま流されるままに、ここに在るようだ。
バックスの視線が外れる。背後に少し遅れて上がってきた、ティアとドルクの気配をアレフは感じた。
「覚えているぞ、治癒のワザよりホーリーシンボルの習得に血道をあげていた出来そこないの聖女。モルの威を借りて余を見下していた小娘か。身の程知らずめ。シロウトを率いて余に挑むか」
「挑む?あんたは単なる予行演習よ」
本戦はモルか。私という可能性がなくもないが。
「その生意気な小娘は余のものだ。男はお前らにくれてやる」
あざけり見下す血走った目。雄たけびとも歓喜ともつかない声をあげて、駆け寄る者たちを物理障壁で押し返した。火炎呪は耐火呪で防ぎ、ツブテのたぐいは身を盾にして止める。
テオは牽制の役には立つが、遅すぎる太刀筋は動かぬ物以外を斬れそうにない。ドルクが射掛ける矢は残り数本。矢筒がカラになれば、あとはティアの力が頼り。
だがティアの詠唱が終わるまで待っててくれるワケもないか。それに短縮呪では力が足りない。始祖を滅ぼすには…
不意に湧き上がった吐き気に集中力が乱れる。障壁がゆれ、延びてきた手に腕をつかまれ、投げ飛ばされた。のしかかってくる数人の不死者。ティアの悲鳴。ドルクの咆哮。テオの焦り
「英雄にあこがれる愚かな剣士よ。人形芝居やテンプルの飾り騎士の大剣が、実戦で使えるなどと、本気で思っていたか。ショートソードとナイフによる素早い攻撃こそ、真のテンプルナイトの戦い方よ」
剣を掴まれ奪われたテオの驚きと恐怖が指輪を通して伝わる。鎖帷子ごしに殴られ折れる肋骨。息苦しさ。のどに溢れる血。治癒呪をかけても、暴行を受け続けていては立ち上がることも出来ない。
「ほう、獣人がまだ生き残っていたか。だが、速さでも持久力でも不死者には敵うまいに」
矢を射る間合いを失い、斧を振り回してティアを背にかばっていたドルクが、囲まれ足を踏み折られ膝をつく。
体術で捕らえようと伸びてくる手を巧みにかわしていたティアも、大勢を相手にたった1人となれば抗いきれない。捕らわれ羽交い絞めにされて、バックスの元へ連れて行かれるのを感じた。
「余は既に百人以上の命を飲み干し、転化させた者は末端まで入れて数万人以上。間もなく世界をも飲み干す偉大なる王を、人の身で倒せると思おたか」
数万人の命を支える始祖。バックスを滅ぼせば、数万人が共に滅する。吐き気の理由はコレか。
「たった百人?もっと大勢を餌食にしたファラを人は倒してるのよ。アンタ程度の吸血鬼くらい、どうにでもなるわよ」
負け惜しみではない、おそらくティアは至近で、血を吸われながらホーリーシンボルを放つ気だ。
だが、致命傷を受ける可能性も高い。無事ですむハズがない。
主の食事に合わせて、噛みつく瞬間を妄想しながら、笑っている不死者たち。押さえ込んでいる冷たく堅い手首や肌に、首をかしげる者たちを見上げた。
この者たちも、バックスと共に滅ぶ。あの日のネリィのように、不死の源泉を失った者は、融け崩れ灰と化す。その灰も夜明けには分解して二度と復活しない。
たとえ実体のない…既に死んだ姿に宿ったかりそめの命であろうと、作られた闇の命であろうと、かけがえのない命には変わり無い。今、存在する者が、この先も存在し続けようとあがくのは、自然なことだ。彼らの未来を断ち切る資格は誰にもない。ほとんどが被害者。望んで不死者になった者たちではない。
だが、それでも…どれほど罪深く許されざる事であろうとも。
結論は既に出ていた。
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