傷ついたテオを癒していたアレフは、意識に上ってきた真逆の光景にしりぞいた。欲望のままに眼前の若者を捕らえ、喉を食い裂き血をむさぼる浅ましい悪鬼。これは、私の思考ではない。冷やかな視線を向けているティアのものか。
急いでテオとの意識の重なりを再確認する。視界の他は、心話に付随する意識的な思念のみ。他のしもべと同じか。
感情や体感、想像の類まで共有しているのは、ドルクとティア、そして水晶球を解して遠い地から案じているイヴリンのみ。盲点だったダイアナとの絆は意識しなければ通じないよう制限ずみ。
大丈夫。テオには読み取られていない。
カブトを止めるベルトに首をおおう鎖帷子、そして防具と肌の双方を保護するための厚い頭巾《ずきん》。テオを食い物と見るには障害が多すぎる。
たわむれに細かな鉄の編み目ごしに脈に触れてみた。幼子の手の様なものが浮かび出る。樹霊の護りがテオの首を包んでいた。硬いヒイラギならともかく、薄いカエデを牙で貫くのはたやすいだろうが…さすがに無粋か。
ありえぬ想定から生じた妄想を振り払えば、回復しかけているバックスに連なる吸血鬼たちのうめき声が耳に入る。思ったより復元は遅い。闇の子が多すぎるせいだろうか。だが、いずれ憎しみと怒りを抱いて、向かってくるはず。
かといって、とどめを刺して回るほど非情にもなれない。むしろ1人を除いて容易に回復可能な状態であることに、安堵していた。ドルクに心臓を射抜かれ灰化した男も、蘇生の術式と大量の生き血があれば蘇れるはず。
「いくよ」
ティアがスタッフを軽やかに回す。
「本気で、正面から?」
相手に危害を加えてしまった以上、話し合いも逃げ隠れもムダとわかってはいる。だが、余りに無謀ではないか。
「せまいとテオが活躍できないでしょ。その剣であたしたちを守ってくれるんだよね?」
刃こぼれがないか確認し終えたたテオが、誇らしげにうなづき走りだす。ありがたいことに、テオの庇護欲は私にも及ぶらしい。彼の剣士の心によぎるは教会の人形劇。死ぬ気ではないだろうし、私もテオを死なせるつもりもないが。
(テオに耐火呪。あたしが風を制御するから、熱をおねがい)
相変らずティアは無慈悲な事を考える。相手にも心や痛覚があると、わかっているだろうに。
だが、心を読めぬ相手と、視覚と思考を我がことの様に感じられるしもべ。どちらかを選べと迫られたら、理性より感情が答えを導く。
たとえ利己的とそしられようとも、道に外れる行いであっても、先行するテオを守るには最良の方法だ。
イモータルリングを中心に、耐火の呪と障壁でテオを包む。呪を唱えながら走り、中空に膨大な熱を集めた。熱を奪われた水蒸気が結露して、周囲にモヤが生じる。すぐ横ではティアが操る風精が旋風を生み、熱気を巻き込む。
始祖を守るよう命じられ西棟一階に集まった者たちの大半は素手。かろうじて数人が火炎呪を唱えだしたが…護身用として教会が教えている初歩の術か。放たれた炎がテオに届く前に、ティアが操る旋風が飲み込む。明るい蛇となってうねり、事態を理解していない者たちに襲いかかった。
触媒の油は蒸発し燃焼し、中庭へ開かれたホールを爆風と熱気で満たす。腹に響く轟音。割れ砕ける窓。服と乾いた皮膚を焼き剥がされた者たちの悲鳴は少ない。声を上げようと息を吸い込んだ瞬間、喉も焼かれたはず。
たたらを踏んだテオの背を、ティアが叩く。
「まだ立ってるやつが居たら切り伏せて、上への道を作って」
「…おう!」
威勢はいいが、黒く焼けただれた相手に剣を振るえるものだろうか。
だが、すぐに要らぬ心配だと分かった。立っていた十数人はほぼ無傷。火炎呪が当たり前に習得されているなら、耐火呪を学んでいる者も少なくないか。
まだらに焦げた壁とらせん状にホールを巻く大階段には熱気が残る。風精が建物への被害を抑えたのか、天井のヒビは少ない。シャンデリアは床の上。頭上を案じる必要はなさそうだ。
先行するテオの刃を避けて体勢を崩した者に、ドルクが矢を放ち、ティアが短縮呪のホーリーシンボルを放つ。テオの刃にかかる者はいない。それどころか、短刀を2本操る剣士に手数で押され、テオは致命傷に近い刺し傷を受けてうずくまった。
血色の指輪を介してテオに治癒呪をかける。階段を駆け上がり、テオを跳び越え、トドメを刺そうとする剣士の刃を手甲で受けた。
「貴様は」
驚愕する剣士に笑ってみせた。互いに不死なら遠慮する事もない。
わざと刺させて動きを封じ、下から首を突き折る。鋼の爪かけて階下に投げ落とした。滅ぼす必要はない。しばらく動けなくなれば十分。
「悪い、また助けられたな」
テオにはあいまいに笑っておいた。
不死者に対して決定的な力を持つのは、ティアの破邪呪とドルクの銀の矢。大剣も火炎呪も通用しないわけではないが…テオと私は足止めと補助に徹するのが効率の良いやり方か。
それに猛進するテオのそばにいれば、先に待つ者のことを考えなくてすむ。負けるかもしれない恐れも、勝ってしまった時の事も…
バックスと戦うことの真の意味と、正面から向き合うのを避けるように、眼前の敵が放つ火炎呪を弾き、巻きつくムチを掴んで引く。スキが多いテオの盾となって斬撃を受け、傷の復元に専念する。
上から炎のカタマリが滝のように落ちてきた。味方をも巻き込む大掛かりな火炎呪を障壁で弾き、熱気を氷の呪で中和する。
1階の割れた窓から吹き上がる新鮮な風に後押しされるように、
最後の数段を駆け上がった。
黒い布が垂れた広間には、強烈な血の香りとわずかな腐臭。闇に集う気配のほとんどは不死者だが、弱った生身の人も幾人かいるようだ。
「我が宮廷に自らの意思で参内した常命の者は、お前たちがはじめてだ。だが、まずは樹霊どもとの約束を果たさねばな」
ひときわ大きな気配は、唯一星空をのぞめる最奥の窓の近く。壇上にしつらえた玉座らしきものに収まった白ヒゲの老人。その手が力強く窓を指した直後、窓外に幾つかの火柱が立ちのぼった。
耳をろうする大木の軋みと破裂音。声無き悲鳴の合唱は、焼かれ行くドライアドのもの。
「なぜ彼女らを焼く?」
「2度目は許さぬと言うておいたのに、我が城へ再び男を引き込んだ、物覚えの悪いアバズレどもへの仕置きだよ」
数千年の時を生き延びてきた年長者への畏れや敬意を全く感じない傲慢で乱暴な所業。不死者の長であっても、バックスは紛う事なくテンプルの者のようだ。
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