賢者の石が放つ紅い輝き。光源をアレフは見上げた。砕けた窓から月が射していた。風精《フレオン》に集めさせた雲が切れたらしい。黒茶に似た香り招かれ、舞踏室を出てテラスに立った。足元に白い花びらが1枚、貼りついていた。
恣意的に引き起こした風雨に耐えた白バラが、中庭から恨みがましく見上げていた。眠りに逃避していた間も、誰かが世話をしてくれたらしい。
だが、ネリィはこの花を目にする直前に逝ってしまった。
割れたガラスを踏む音に振り返った。白いドレスをまとった蜜色の髪の…目の色が違う。足元に影がある。ネリィではない。白い婚礼衣装を血に染めたティア。赤黒く広がる斑点が月のあばたの様だ。
「死に切れていない聖騎士と拳士、どうする?」
スタッフが指し示すのは血臭と臓物の山の向こう。これ以上、片付ける死体を増やすのもバカらしい。自力で歩み去ってくれるなら、ありがたい。
治癒呪を施し、混乱する2人に命じた。
「モル司祭がどうなったか、クインポートと銀船に残っているものに告げにゆけ。速やかにホーリーテンプルに戻らぬなら、同じ目に遭うと」
這いずっていく2人の前にドルクが立ちはだかる「証だ」破れたモルの法衣と死んだ騎士の盾を押し付ける。
もつれた2つの足音が遠ざかる。これで退いてくれればいいが。頭を倒しても、人の集団は消えてなくならない。高い城壁を備えたクインポートに立て篭もられると厄介だ。食料が尽きるのを待っていたら、町の住人まで食われるかも知れない。
「ホーリーテンプルは、全滅したんじゃないのか?」
だぶついたシャツと鎖帷子を血に染めたテオが、幽鬼のように立っていた。なりばかりか言葉まで常軌を逸している。誰に何を吹き込まれたのやら。
「全滅などさせたら、金の流れが止まって」いや、森と村しか知らぬテオに理解は無理か「統制を欠いた司祭や聖騎士が世界を血に染める。この城のように」己が目で見たものなら理解できるはず「私は訪ねてくる者を歓待しろと言い置いた。害せと命じた覚えはない。それでも殺した」
「だって、夜明けをもたらす…ために」
「ではクインポートは。既に人の街だった。少なくとも町長とやらは、そう信じていたはず。何が起こった?」
テオの心に、クインポートの惨状がよぎる。守る側に回ってくれたのか。
「すまない。詰問は不当だった」
「けど、手下にシリルを襲わせた。アースラ伯母さんを襲って、オレを指輪の呪いで縛って」
「呪い?」
血膿で粘つきからむ左袖とテオが格闘を始めた。袖が邪魔なら裂けばいいのにと、イラ立ちを覚えた頃、テオ自身もじれたらしい。左手を見せるのはあきらめ、右手で腰の物入れから紅い指輪をつまみだした。
テオのイモータルリングは左の薬指にはまったまま。
では、あれは。
昨夜、こちらでは今朝か。命を支えきれなかった衛士の指輪。
「良かった。見つからないから、砕かれてしまったものと。これで、彼だけは蘇らせることが出来る」
おびえた顔で逃れようとあがくテオから、指輪をもぎ取り、舞踏室から出て、早足で階段を下りる。テオはドルクに任せたほうが良さそうだ。私が何を言っても、かたくなに拒む。
ついてきた足音は一つ。そして軽い。
足を止め、ため息をついた。
扉を開き、中庭に出る。雨あがりの土の臭い。風で折れた枝と葉のせいか、花の香りより青臭さが強い。
散り落ちたバラの花びらとコケモモの小さな白いベル。上からみたときは地に広がった星空にも見えた。ささやかな光を飲み込んで、ぬかるんだ足元に光の方陣が広がる。
破邪呪。
対処法は、術者を殺すか、効果範囲から…。
「逃げないの?」
「貴女が全てを犠牲にして求め続けた望みですからね」
ティアの心の奥にある硬質な決意。憎しみの化石。
モルは死んだ。
仇を討ち果たせば、私を永らえさせる理由はなくなる。
それにティアなら、私より強い決意と実行力をもって、賢者の石を砕き、テンプルの地下に封じられた始祖を滅ぼしてくれる。2度と吸血鬼に肉親を…親しい者の心を奪われる者がないように。報われぬ望みと孤独にさいなまれ、干からびる心を作らぬために。
「ひとつ遺言がある」
「遺したい言葉なんてあるの」
「私のじゃない。クインポートを守ってくれていたブラスフォードの最後の言葉」
「我が主《マイロード》、でしょ」
ティアが鼻で笑う。心が一段と硬くなる。初めて言葉を交わしたとき。泣いていたティアが、繰り返しなぞっていた父親の最後の言葉。
「続きがある」
ティアを守りたいという闇雲な思いは、多分、私自身のものではない。少なくとも最初のうちは、動かしがたい気持ちだけがあって理由を後付けして納得していた。まるで、ヴァンパイアの瞳の力に囚われたヒトのように。
「43年間、血と忠誠を捧げてきたのに、なぜ見捨てる。応えないなら血の絆をもって呪詛するぞ。我が娘ティアを守れ」
ティアの頬が赤い。キニルで人形劇を見たときにも、こんな顔をしていた。
「先に呪っておいて、脅して要求を突きつけるのもどうかと思うが…眠っていた私の夢を裂いて、刻んで逝った」
「女の子を助けたのに、下心があまり無いなんて変だと思った。父親の目であたしを見てたんだ」
年寄りは時折、未熟な若者の世話を焼きたくなるものだ。だが父親の情を透かし見ることで、ティアが納得して心安らぐなら、かまわない。
「親なら子をもう少し見守っていたいとか、思わない?」
「親は成長した子より先に逝く。いつまでも死んだ父親が近くにいては、子は前に進めなくなる。それに亡霊が長く側にいると命が縮む」
「あんただって…あたしを死んだ女に重ねてたでしょ。さっき幽霊でも見たような顔して、少し懐かしそうにしてた」
相変らず、カンが鋭い。
「ネリィと共に、私の心も40年前に滅びたのかも知れない。抜け殻にしもべたちの思いを詰めて、心の代わりにしているだけで」
「その、しもべは、代理人はどうなるの。いきなり心の繋がりが消えたら混乱しない?それに心話を使っての急ぎの連絡も出来なくなるじゃない」
不思議だ。ティアは私を滅ぼさない理由を探している。
「中央大陸は烽火塔とハトで何とかなっていた」メンターは心話を戦《いくさ》の道具だと言っていた「人の心を用いて強制的に行う通信など、元から異常なのかも知れない」
「滅ぶ以外に方法はない?モルの親戚みんなぶっ殺す以外に、あいつが2度と子孫に取り憑かなくなる方法」
2度と…は無理だろう。いずこかの亜空間に組まれたケアーのようなオートマタが、記憶を保存し、100年ごとに条件が合致した者に接触し、知識を共有する転生の呪い。
害悪とも言い切れない。遠い未来に吸血鬼を倒す英雄が必要となるかもしれない。
「あんたをでっかい水晶球に封じ込めるとか」
擬人化精霊じゃあるまいし。いや、非実体の亜人と言う点では大差ないか。だが
「ありますよ、方法は」
ずしりと重く感じる紅い卵を出して握る。500年近く長らえるために歪め奪ってきた、無数の人生の重み。
「キメラが合成できるなら、人の身体も組むことが出来る。素材となる贄があれば、理論上は不死の身を実体に置き換えることも」
「人に戻るって…こと?」
人をたぶらかし、心を奪い血を奪い、最後は命を奪って、実体の無い死人と変えるヴァンパイアが、偽りではない恋に落ちたら、成就させる方法はふたつ。殺してこちら側で共に永遠をさすらうか。殺される…人の命に殉じて、心中の道行きのごとく、あちらの限られた時を生きて逝くか。
こちら側に来たネリィは悲劇で終わった。今度は私があちら側に行く番だろう。
光の方陣が消える。足元にかりそめの星空が戻った。花々を照らすほのかな光は、薄れゆく月と、地平の向こうから雲の端を輝かせる朝のきざし。
「いつになるかは、ティアさんのお師匠さま次第ですが」
「なんでここで、メンター先生でてくンのよ」
40年で肥大した教会とテンプルが、あり様を変え、敵役を必要としなくなるまで、五年かかるか十年かかるか。
血の絆に頼らぬ秩序を編み上げるにも、時が要る。
それでも、夜明けはすぐそこに。
完
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