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吸血鬼を主題にしたオリジナル小説。 ヴァンパイアによる支配が崩壊して40年。 最後に目覚めた不死者が直面する 過渡期の世界
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「美しい喉だ。キズも染みもなく、すべらかで温かい」
そんな言葉しか与えられなかった。海に父親と兄を奪われ、心無い者に誇りを奪われ、笑顔と意欲を失った娘にアレフが与える事が出来たのは、浅ましい欲望を剥き出しにした、世辞にもならない貧しい賛辞。

一番下の妹が成人するまで、不自由なく暮らしていける額の金は渡した。隣村の分限者に彼女たちを密かに預け後見を命じた。余命と引き換えに手にした資産を奪い、庇護すべき姉妹を野辺に追いやる事などないよう、遠まわしに脅しもかけた。

そうこうしている間に帰路についた馬車をウワサは追い抜き、一足早くクインポートに届いていた。新鮮な魚や野菜と同じぐらい、鮮度の良いウワサも市場では歓迎される。

昨夜の鍛練を怠ったと激しくなじるティアをかわそうとして、壁の一角を埋める刀子の疵に目を止めた。鍛練に執着する異様さを指摘した。誰が弁償するのだという正当でささやかな反撃は、夜明け前の市場でティアが仕入れてきた、不幸な娘に降りかかった悲劇の実話に、叩き潰された。

「人の不幸を嗅ぎつけて、ずいぶん遠くまで獲物をあさりに出かけてたのね。死臭を嗅ぎつけて集まるハゲタカよりタチが悪い。ネコのしなやかさもワシの凛々しさもない、卑怯が取り柄の毛の抜けた肉食ザル」

毛のない肉食ザルという点ではお互い様だ。そう、反駁《はんばく》できたと気づいたのは、ティアが朝食に茹でた腸詰をかじっている時だった。だが、今日の天気を語るように、人々が同じ話題を口にのぼらせながら朝食を楽しんでいる様を目にして、胸の内で自己弁護する気も失った。

貧しさに付け込んだ卑劣漢という意味では、何も知らない妹たちに菓子や小遣いを与えて破れ屋から遠ざけ、言葉と暴力で娘を傷つけた者達と大差はない。彼らも金銭や食べ物を置いていった。娘から得たものの対価として。

そのとき殴られたアザを治癒呪で消し、偽りの恋で悪夢をぬぐい、透き間風や不安に震えなくても済む寝床を保障したところで、己の欲望のために娘を利用した事に変わりは無い。結局のところ彼らとの違いは与えた富の多寡だけだ。

口伝てに広がるうち噂話は物語となり、娘には可憐という形容詞が被せられ、己の為した事には狡猾や無体といった見解が加わっていた。おそらく、向かいの食堂で行われる晩餐でも語られるのだろう。船長たちが話しているのを乗船の際にもれ聞いた。

その時、不自然な表情をしてしまわないか…一介の商人ウェルトンとして振舞い切れる自信がない。船酔いを装うために人前で吐かねばならない事以上に、気が重い。

どうにも後ろ向きで、気分がすぐれないのは茫漠《ぼうばく》たる水に取り囲まれているせいか。
乗船する前、水流に力を浚われないよう対策は講じた。地のエレメントを凝集した水晶球をふところに入れて恒常結界となし、知覚のために普段は広げている力場を周囲に留めた。だが、小さな窓を閉め船室を闇に閉ざしても、気だるさは続いている。

海に対する諦観の念は、昨夜あの娘から血と共に取り込んだものだろう。嵐ひとつで全てが失われる今の立場には相応しい覚悟かも知れない。板一枚へだてた向こうに、広大な海を感じながら、アレフは己の卑小さをあらためて自覚していた。

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