「紅い指輪を得た者に移民が多いのは、どういう事か。それに新規に募集した衛士を全て、イヴリン殿専属にというのでは、専横と呼ばれても仕方あるまい。近ごろ身辺が騒がしいのは知っている。だが、そもそも貴女が強引な…」
追いすがる衛士長を、くだんの新規募集した若い衛士が押しとどめる。
「お話はまたいずれ。今は急ぎますので失礼します」
「またイヴリン殿にだけ聞こえる、ご下命ですか?」
皮肉まみれの声を、イヴリンは厚い扉と二重の帳《とばり》でさえぎった。
移民を重用したのは“使える”から。縁故という甘えの盾がない分、彼らは誠実に必死に働く。スキを作らず腐敗も少ない。大体、移民出身者は今期任命した者の3割に満たない。半数を超えてから“多い”と言ってほしい。
それに昔からここに住む者に、クインポートを奪い返すなどという、汚れ仕事が出来るかどうか。中央大陸風の強固な城壁と市門に守られた半独立都市。港を封鎖し食を断てば餓えて死ぬ者も出るだろう。最悪、見せしめとして街を焼き同胞を手にかける事になるかも知れない。
この数百年間、闇の王の庇護の元で生ぬるい平安に馴らされた私たちが、非情に徹するのは難しい。
一方…
闇の王達が滅ぼされたあと、人が人を殺し、奪い、貪りあった混乱期。死と炎と混乱が広がった中央大陸から逃れ、命がけで海を渡ってきた移民たち。互いの肉を食むような極限を味わった彼らならば、死に物狂いで使命を果たしてくれるはず。
「そう、口に出して言えれば、すっきりするのだけど」
自嘲的に笑って、樫の机に触れる。遠い昔、森の大陸から運ばれてきたという見事な一枚板。その上にビロードの台座を据え、胸にかけた袋から、水晶球を出して安置した。
昼はバフルに起きる諸問題を片付けながら、閉鎖された港の復興をすすめ、深夜はひと払いした書斎で水晶球を手にアレフ様の名代を勤める。今もやりがいを感じてはいるが、疲れも覚える。
アレフ様がこの地を離れて既に9ヶ月。
表向きは忍びで領内を視察している事になっている。居所をひた隠すのは、テンプルの暗殺者を警戒しているから。この言い訳は、いつまで通じるのだろう。
巷《ちまた》には、様々なウワサが広がっている。
太守は地の底に幽閉され目覚めぬ眠りを強いられている、だの。とおにアレフ様は滅んでいるのに、代理人やしもべが特権を失いたくなくて、口裏を合わせている、だのと。
しかも主犯は私らしい。
太守の健在を示し、流言を否定すべき者たちの語気が弱く態度が曖昧なのも良くない。それはアレフ様がこの地に戻られることはないと、私自身が諦めているせいもあろうか。
深呼吸して、水晶球に手をかざし呪を唱える。旅の占い師めいた仕草だが、未来も過去も見えはしない。
脳裏に映るのは、暗く巨大な球面に散らばる光。東大陸ではほぼ全ての村と街に星の様なまたたきが。中央大陸には西から東へ、街道沿いに光の粒が点在する。血の絆によって結ばれた心のつらなり。
繋がりによって知り得る遠き地の出来事。ウォータで両替商を営むしもべは、香茶と煙花の先物買いで財を増やし、東大陸では銀の値上がりに先手を打つことが出来た。
最新の光点は森の大陸、スフィーの教会内。
注意を向ければテンプルの紋を刻んだ銀ヨロイ共に、微笑んでみせる我が主と、しもべの気配がふたつ。
かつて地下の金蔵でテンプルを隠し育んだ、黒き本山の教長を贄になさるおつもりとは、何という無茶を。心づけを騎士に握らせ、企てに手を貸しているドルクを心話でなじりたくなる。
最初にアレフ様をこの地から逃すと言い出したとき、中央大陸の辺境に身を潜める計画だとドルクは言っていた。
混乱に乗じて教会の支配を退けた地域には、身の程知らずにも太守のマネゴトを始めた愚か者どもが無数にいる。王を自称する彼らを呪縛し、裏で贄を召されるなら安全だと。
不信を招いたら全ての罪を操り人形に押し付け、別の村か町へ逃れて同じ事を繰り返せばいい。世界は広すぎる。血の絆に頼れない人々は遠い町や村に起きた不幸を知る術がないからと。
だが、安全どころかアレフ様は危険のただ中におられる。案じても、海を隔てた異郷ではどうにもならない。
有能だが気に食わない司祭や騎士を死地に追いやり、愚鈍で忠実な者を手元に残した、教長の愚かさに期待するしかない。
手の届かぬ物事で心と眠りをすり減らすより、力の及ぶ範囲に意識を向ける。
アレフ様を装って、東大陸の代理人達にねぎらいの心話を送り、意見を求める。
『太守をないがしろにする、バフルの女代理人の専横』を直訴する者もいるが、動揺を抑えて耳を傾ける。
むしろ気になるのは、アレフ様がこの地で最後に任命された商工組合の若き代理人。繊細な細工をほどこしたビンに詰めたバラの香水。急に注文が取り消されたと青くなっている。
キングポートで互助会を運営している代理人は、例の香水は人気で、高値で取り引きされていると不思議がる…エブラン商会は、東大陸絡みの商売から手を引きたいらしい。
クインポートを見張らせている者に確かめると、商船の数が先月より減っていると、紅い指輪を介して不安を伝えてきた。
森の大陸での吸血鬼騒動と、不安をあおる教会の読売り。キニルから発信されたホーリーテンプルの意思が、東大陸が抱える闇への恐怖と憎しみを人々に植えつけていく。
読売りに踊らされる彼らの希望はウェンズミートで作られているという銀の船。森の大陸でアレフ様がモルを止められなかった時、バフルは再びあの者の侵攻にさらされる。悪夢の様な“できそこない”たちは、もう2度と見たくない。
投石機や火矢を打ち出す弩《いしゆみ》を海に向け、街の防備を固めはするが、司祭の攻撃呪に対抗する手段がない。海上で迎え討つなら、思いつける手は御座船を持ち出すぐらい。
風に頼らぬ機動力と波に邪魔されぬ速さ。防御を固めすぎたテンプルの重い船よりセレネイド号は乗り物としては優れているはず。だが、相手を沈めるとなると油と火薬を積んでぶつけるぐらいしか手段が無い。
帆と油を発注すべきだろうか。その金をどこから工面しよう。
悩んでいた頭に、悦楽と歓喜がよぎった。
警護の者をあざむき、入り込んだ黒き教会の最上階。晩餐の席で言葉巧みに人払いさせ、アレフ様は無事に食事を始められたようだ。
火刑に処された数体のムクロをご覧になったぐらいで動揺されて、このような義憤ともいえる危険を犯される。そんな感傷的な心もちで、テンプルが作り出した抑制を知らぬ始祖と手を組めるものだろうか。
「仇討ちを果たされるまでは、どうかご辛抱を」
心話に乗せない進言は、空しく帳《とばり》に吸いこまれた。
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