青金石のタイルと、濃紺の家具をかざる金だか黄銅だかに映る灯火。火打石の音や火炎呪の詠唱を、モリスは聞いてない。
呪なしに精霊術を使うってぇ報告はマジだったか。
そして…こいつが、ファラがいつくしんだ屍人形《しかばねにんぎょう》。
闇に映える銀髪。白い頬に生々しいバラ色。アニーを貪った後、街でも人を喰いやがったな。
暗緑色の腰紐にたばさんだ、銀の小刀に右手をかけた。
「オレが一等きらいなモノ教えてやろうか。血色のいいヴァンパイアだよ」
「私を見逃せという手紙を送ったのは、貴方の上司でしたね」
小賢しい。こっちが手を出せないと思って余裕かましてやがる。
「ああ、そうだよ。お前は世の中にはびこってる吸血鬼の親。最後の始祖だ。夜明け後の世界に残る闇のトゲ。悪の根源…ってコトになってるな」
不本意そうなムクレ顔。けど、怒りはしねえか。永く生き過ぎて感情が磨り減っちまってんのかな。
「お前を滅ぼした者は、30年ばかり空位になってる大司教に祭り上げられる。明日の世界を手に入れる。俺は、そんな重荷なんざゴメンだからな」
ティアの肩を叩いて退かす。さて、部屋の境界に立ってたこの娘は、どっちを守ってるつもりだったのかな。俺かあいつか、両方か。
「だから滅ぼしたりゃしねえよ。けど、目や鼻をえぐられたくなかったら、今夜どこのどいつを襲ったか言え。施療院に収容する。それとも飲み尽くしたか? なら遺体を」
「…殺されました」
殺したではなく、殺された…か。もう、サグレス一派と接触したか。
「情けねぇなぁ。末端の吸血鬼から、てめえのしもべ一人守れないのか。始祖のくせに」
だが周囲に不穏な感触はない。つまらん意地やプライドの為に殺し合うより、折れて平穏を取ったか。ジジイらしい消極的な判断だ。
「無断で領界を侵したのは私の方です。位階の上下は関係ない」
なるほど、旧時代の太守はイタズラに騒乱を招くことを好まず、新入り相手でも秩序を重んじるか。
「彼を、焼くのですか」
「炎による浄化だ。転化する前に人として逝かせる」
嫌そうに呟いた共同宿舎と学生の名を記憶に留める。
メンターの言うとおり、一歩間違えば世界を滅ぼしかねない元司祭どもより、カタキ役として使い勝手はいい。
「こちらが答えた以上、あなたにもひとつ答えていただきたい。彼らは氏族を形成していた。モルを本山から出すために、昨日今日、逃がしたとは思えない。彼らの始祖がシリルに居るとすれば、少なくとも」
「計算が合わないか」
バックスが逃亡したのは、どう考えても1年ほど前。おそらくモルが東大陸討伐に出た直後。だが今日までメンターは隠し続けた。理由は宿めぐりしているうちにわかった。
「お前かオヤジさんか…どっちでもいいから、モルかティアが滅ぼすのを待って、討伐隊を緊急に呼び戻すための口実だ。
広報して金を集めて、反対する連中を説得して無理を通してやった東大陸討伐だ。成果ナシじゃ格好つかないだろ」
さすがに顔がこわばったか。
「けど、最後の太守をモルに殺らせるワケにもいかない。血の呪縛と闇の専横がまかり通っていた昔と違って、こちとら上位の者の命令は絶対じゃない。討伐を中断させるにも、誰もが納得できる理由が要るんだよ」
問責されたら…だがな。
それと、明日から始まる読売と人形芝居による教宣用の筋書きにも、納得できる口実が要る。
「そうだ、ティアに血をやってチコとかいうガキの呪縛を解かせたろ。お前が昨日の朝噛んだ、アニーの解呪用に血をくれたら、1つ大事なことを教えてやるよ」
「触媒は必要ない。始原の島を包む結界に阻まれて心話も通じない。体力と精神力が回復すれば、いずれ血の呪縛は解けます」
つまりアニー以外の犠牲者は呪いの根源が本山の地下にいて、呪縛し続けた後遺症が残っているって事か。あるいはバックス以外にも作られた始祖が、まだ地下にいるのかも知れない。
まあいいや。
拒絶するように握られている白い手に触れた。肌が接触すれば、心を読ませることが出来たはずだ。
(なぜティアがお前を滅ぼさないか分かるか。師匠に暗示をかけられてるからだ。お前を滅ぼしそうになったら発動する。そして一定の条件下で解けちまう。せいぜい気をつけるこった)
(その条件は?)
へえ、通じるもんだねぇ。
白く冷たい手を離して、横をすり抜け扉を開ける。
「そいつは教えられねえ」
モリスは捨てゼリフを部屋に残して扉を閉め、暗い階段を駆け下りた。
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