両替商からの帰りに引っ掛ける酒は一杯だけ。だが隣り合った者には惜しみなく奢るのが、最近のドルクの習慣だった。タダ酒が嫌いな者などいない。そして、酒場の亭主の機嫌が良くなるという点が一番重要だ。
酔客がもらす言葉を聞き流す振りをしながら覚えている、カウンターの向こう側にいるオヤジや給仕。役に立つ話は彼らから聞ける事が多い。
横で酔いつぶれてしまった油屋の若衆。その魚臭い手から傾いた酒杯を外してやった時、白いものが混じった長い眉毛の亭主が話しかけてきた。
今年のトラッパ酒の出来といった差しさわりのない話の後…
「ときどきお客様と一緒にうちで食事をしていただいている元気なテンプルのお嬢さん。それと蚊を嫌ってお部屋にこもっておられる若い方。お連れさんはそのお2人でしたよね」
ドルクはにこやかに頷いて先をうながした。
「あの銀髪は生まれながらのもの、ですよね。元気なお嬢さんの髪色といい、ずっと北や南の果てならともかく、日差しの強いこの辺りではあまり見かけない色ですので」
「…ここらやキニルあたりでは、あまり良く思われていないのは存じております。でも、決して卑しい身の上ではございません。ここの払いを踏み倒したり盗みを働くような事は」
「そんな疑いはカケラも。ちょっと思い出した事がありましてね」
首を振り、愛想笑いと共に、酔い覚ましの黄色い果物を一切れ差し出した亭主が語る内容に、ドルクはタネを吐き出すことも忘れて甘い果実を飲み込んだ。
「何日か前に、こう黒髪を耳の辺りで切りそろえた司祭と大酒のみの聖女に、ダークブロンドの聖女見習いと銀髪黒衣の若者を見かけなかったかと聞かれたのですよ。どうやらウォータ中の宿を尋ねて回っていたようで。もしかするとお客様方を探していたのではないかと」
「心当たりはありませんが…知り合いかも知れません。2人の名前は」
「聞きませんでした。互いに愛称で呼びあってましたな。確かルーシャとアニー。追い抜いたなら南へ戻る必要があると話していました。お探しでしたらしばらく滞在なさるか、伝言を残しながら南へ向かわれれば出会えるかと」
足元が崩れていくような不安をドルクは感じた。亭主の背後に並んだ、酒樽に焼き付けられた産地と年号を見つめながら、最悪の事態が脳裏に浮かぶ。街道沿いの主要な都市は教会とテンプルの支配地域。素性が割れ、本気で追われては逃げようが無い。
だが教会に出入りしているティアからは、何も聞いていない。彼女は聡い。接する者たちが何か隠し事をしていれば、すぐに気付く子だ。
そのルーシャとかいう司祭はどこかで不信を抱いて、個人的に我らを探しているのかもしれない。
だがアレフ様は夜の散歩に出てしまわれたあと。
モルのようなイカれた者ならともかく、夜、不死者に挑む者はいないと己を納得させて部屋に戻り、横になった。昼の護衛のためにも夜は休息を取る。そうでなくては身が持たない。
安眠とは程遠い悪夢にうなされるばかりの夜を過ごし、夜明け前に主を探しに出かけた。
雨季でも冠水しない高台に作られた石作りの街にはいらっしゃらない。坂を降り低地に向かう。高床の素朴な家が並ぶ小便臭い下町にも気配が無い。やっと存在を感じたのは湖岸。泥と水と魚の臓物の臭いがまじりあう漁師小屋の一角。
声を上げられない弱き者に付け込む主の所業にため息がもれる。懐狙いの賊を誘うのも、訴え出られぬ弱みにつけこむずるいやり方か。
たよりない光を放つランタンが置かれた小さな小屋の前で、主と女の声に気付いた。逢瀬をおえたあとの男女の睦言を盗み聞いているような後ろめたい気分になる。艶めいた妄想を振り払い、出てきた主に見聞きしたものと懸念を心話で伝えた。
(不信を招くような事があったとすれば、キングポートかチェバ)
主がゆっくりと首を横にふる。
(くちづけを与えた者たちの記憶に、その黒髪の司祭はいない。あえて心当たりを探せばドライリバー城跡の賊。あの時、ティアを案じて馬で駆けつけたテンプルの者がいた。顔は見ていないが)
城跡では主に気付かれぬよう、離れた位置から見守っていた。確かにティアと騎馬の2人組が話しているのを遠目に見た。2人が去ってから主に駆け寄ったから彼らの顔は見ていない。詳細の分からない追っ手に対する不安がふくらむ。
「それより、金を受け取ってくれない刺繍職人が喜びそうな贈り物を、何か見繕ってくれないか」
危機感のない主の物言いにドルクは目を閉じた。わざと大きなため息をつく。
夕方、細密な刺繍を成すのに使えて売ってもそこそこの値になる、無色で透明度の高い枠つきの水晶レンズを主の前に置いた。
その横に尖った刃のついた鋼のナックルを添える。
「護身用です。全力で殴ればミスリルを編みこんだ法服やチェーンメイルぐらいなら切り裂けるはず。相手が怯んだスキに、闇に紛れてお逃げください」
寝起きだった主の顔が、強ばり引き締まる。悪夢にうなされる回数が、今夜は少し減りそうだ。
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