行く手に見えてきた壁は、アレフの記憶にある首都バフルの城壁より高く長かった。その防壁の向こうに高い建物が幾つか見える。見覚えのない家紋を染めた旗がそれぞれにひるがえっていた。旗の全てに黄色い吹流し…他領との交易許可の証がついているという事は、クインポートの町は豪商と呼べる者たちが集い、楼閣の高さを張り合うほどに発展しているということか。
馬車が二つの尖塔をもつ南門をくぐると、見覚えのない美しい通りが姿を現した。
車輪は石畳の上を滑らかに進み、焼きレンガで造られた建物の窓には板ガラスがはまっている。朝の気配がのこる煙臭い空気の中を行き交う人々は、整備された歩道を歩き、黒塗りの馬車に注目することもない。港へ下る大路に目をやったとき、朝市のなごりと思われる露店と人の多さに、大都市キニルに迷い込んだような錯覚を覚えた。
「広場に人が集まっているようです。少し遠回りして代理人の館に向かいます」
手綱を操るドルクの言葉で、坂の中ほどにある広場のほうを見ようとしたが、すでに遥か後方だった。
「何だと思う?」嫌な予感がする。
「…火刑台の様でした」
「人が焼け死ぬところなど、見ても気がめいるだけだろうに」
町は美しく立派になっても、住んでいる人の心はそうでもないらしい。
高台にある代理人の館が見えてきた時、さらにその思いは深くなった。
「これは…」
馬車を止めたドルクが絶句する。
打ち砕かれた門には無数の斧のあとが残り、庭の花木は踏み折られ、かつてはこの建物にしかなかったガラス窓もすべて割られていた。
壊された扉の奥に広がるホールは竜巻が通り過ぎたかのように、書類と帳簿が足の踏み場もないほどに散らかり、古い血の匂いがかすかに漂っていた。
この光景があることを、すでに知っていた気がする。
目覚める直前、最後に見た悪夢と痛みはおそらく、ここで起きた現実だ。
不意な脱力感で、膝をつきそうになる。
「大丈夫でございますか。お腹立ちかも知れませんが、反乱を起こした者への処分は後まわしです、まずは」
違う、多分これは、守護が…不死の命を分け与えたしもべが、滅びに瀕して始祖の力に頼り蘇生しようとしている感覚。
広場の方に黒煙が見える。
意識を飛ばせば息苦しさと皮膚を焼く炎の熱さも感じる。
あそこで殺されようとしているのは生命の共有者。
名前すら知らない、おそらく術具による擬似的な闇の子だとしても、魔力の供給を断って見殺しにするわけにはいかない。
だが、どうしたらいい。どうすれば、今すぐ助けられる?
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