やだよ、こんなのってねぇよ。ヴァエルもファラも滅びて、夜は明けたんだ。城に連れて行かれるのは、ジイさんの代で終わったんじゃねぇのかよ。
それも、おれらのナワバリで…こんなのって、ねぇよ。
これは誰の思いだろう。
アレフは丸い物理障壁を白く包む着雪を見上げた。
峠で飲んだ山賊か。ヒゲも生えそろわぬ金髪の坊や。カシラがさらってきた女に産ませた末息子。深雪《しんせつ》に足を取られ、あがいていた白い首を噛んだ。
彼らはこの吹雪から逃れられたろうか。ヴァエルの冬城まであと半日の距離。だが、伸ばした手も見えない白い闇の中では、一歩も進めない。私はともかく、白ウサギのコートを着込んだティアと、厚ぼったいアライグマの上着をかき合わせるドルクはムリだ。
「ハデな髪した白い人が多いよね、この辺」
銅の小ナベをランタンにかざし、雪を溶かしていたティアが顔を上げる。戻っても褒賞はなく祝賀の宴も開かれない。空虚な人形劇の英雄。ティア自身はその扱いをなんとも思っていない様だが…
『全てが終わったら』か。
自らにかかった紅い疑惑を晴らすまでは、戻るなという意味ではないだろうか。悪いうわさは止められない。父親が私に呪縛されていた事を、暗くささやく者もいるだろう。
今は副司教長の密命を受けての潜入任務といったところか。いずれ私をその手で滅ぼし、晴れやかに凱旋する時まで。期限を定めぬ任務…それはむしろ追放に近い。
「モルやあんたのご先祖って、ここらに住んでたの?」
母がしてくれた話が本当なら、もっと北の方だが、うなづいておいた。
「雪ヒョウや白熊が白いみたいなもん?」
「まさか、雪原を人は裸で歩かない。陽の光に弱く夜はめだつ白い肌は、生物としては欠陥だ」
ティアが身を包む白いコートに触れた。
「でも、ウサギも白いよ」
「キニル周辺で飼われているウサギが白いのは、毛が染めやすいからでございますよ。野生のウサギは茶色です。高山には冬毛のみ白くなるウサギもいますが」
ドルクが乳鉢を出し、コカラと砂糖を潰し混ぜ始めた。
「湯が沸くまで、退屈しのぎに昔話でもしようか」
脳裏に浮かんだのは、皮肉な笑みを浮かべた白い母の顔。
むかし むかし あるところに…
いや、本当にあった話なら時と場所をぼかすべきではないな。
千年ぐらい前。北の果ての太守が、氷の海に突き出した半島に村を作りました。冬には海さえこおる雪に閉ざされた村。それでも、氷河から流れ出す水は大地をうるおし、夏が来ると村は花でいっぱいになりました。
毛長牛やカリブーは夏に柔らかい草を食んでたくさん仔を産み、たくさん乳をだしました。海には大きな魚や海獣があふれ、村人は食べものに困りませんでした。
チーズや毛皮と引き換えに小麦粉や南の野菜も手に入ります。ヴァエルが作りし風の精霊たちに守られた村は、嵐や吹雪を知らず。村人はなに不自由ない暮らしをしていました。
いや、不自由してないというのは大まちがい。
村人はとても不自由な暮らしをしていました。半島に通じるたった一つの断崖の道には関が作られていて、村人がヨソへ行く事は禁じられていました。村人は、半島の外では目立つので、舟で逃げても海岸で捕まり、すぐに連れ戻されました。
なぜなら、半島に住んでいたのは、赤や金の派手な髪を持つ、目の色の薄い人ばかり。周りの茶色い髪と目を持つ人の中に逃げ込むことは出来ませんでした。
だから、村の人は、同じ村の人の中から結婚相手を見つけるしかありません。
全ては、闇の女王様を喜ばせるため。
愛するファラが好む髪と目の色の人間を集めて、増やすためにヴァエルは半島の村を作ったのです。
白い肌にソバカスやシミがうかないよう、閉ざされた村の人たちはいつもヴェールをつけるよう定められました。そして、なるべく同じ髪色の人間との結婚がすすめられていました。
「白ウサギ同士を掛け合わせるみたいなもの?」
「それだけでは褐色の肌と黒髪をもつ配偶者との間にも、白い肌と薄い髪色の子しか生まれぬ説明がつかない。ワイドールが作り出した生き物の姿形に作用する呪法もかけられているはず」
「ドルクがオオカミに変わるようなもん?」
獣人の変身は、目に見えぬ微細な自律因子による、遺伝子への転写と急激な細胞増殖と細胞死によってもたらされる。変化時の痛みを和らげる内分泌物は、戦いへの恐怖をもマヒさせ、発毛や筋繊維の増強以上に、戦闘力を上げる一因だが…
「もう少し穏やかで、限定的な呪法。母親の胎内にあるときに、まだ命のタネでしかない時にだけ働いて、特定の髪や目の色を発現させる。でも、自律因子そのものを親から受け継ぐ確率は、他村の血が混じるたびに半減していく。だからこそ…」
何百年かすると、村には体の弱い人が増えていきました。しんせき同士、いとこ同士で結婚しすぎたからかもしれません。
それに男の子も女の子も年頃になるとヴァエルの検分を受け、半分以上が連れて行かれてしまいます。闇の女王に捧げられた乙女と若者は村に二度と戻って来ないので、いくら子供を生んでも生んでも、追いつきません。
だから赤髪の一族や金髪の一族は少しずつ数を減らし…特にファラのお気に入りだった銀髪の一族は、元々数がすくなかった上に、宴のたびに所望されるので、両手の指の数より少なくなってしまいました。
若者や乙女が奪われるたび、たくさんの対価を下賜されていたので、一族は大理石の御殿で暮らしていましたが、全然しあわせではありませんでした。
ある冬…新年の会合が開かれるから、家に残った娘と息子、そしておさな子までも宴に侍らせるようにと言われ「もうたくさんだ」と銀髪の一族は半島から逃げ出しました。
目立つ髪を黒く染め、真冬の氷の海を歩いて渡りました。足の指はこごえて取れてしまいましたが、半島から出る事は出来ました。
お金はあったので馬車をやとって、地の果てに行く船が出る、港町に向かって、昼も夜も休まないで旅をしました。
でも、船が出る港で、追っ手に捕まってしまいました。
キニルに送り返すしたくが整うまでの間、港を治める不死者の館に留められた黒く髪を染めた一族は、涙を流してお願いしました。
「せめて子供らだけでも船に乗せてください。もうわが子を奪われなくてもすむ土地へ行かせてください」
すると、金銀が格子になった盤が目の前に置かれました。上には黒曜石と水晶の駒が並んでいます。
「これで勝負をして勝てたなら、全員を船に乗せる。でも負ければキニルへの馬車に乗せる」
エイドリル様に、父親が受けて立ちました。でも相手は人の心を読める不死者。打つ手打つ手、全てが裏目になって、どんどん追いつめられていきました。
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