小さくかたい足音がうるさい。下の階で地精《グノーメ》が分裂して追いかけっこしている。体にふさわしく心まで幼女。あたいより年上とは思えない。遠く弾ける水音はムカつく水精《ウンディーネ》。湖水を引き込んだ地下庭園を魚臭い尾で荒してる。
ピュラリスは、赤い熾《お》きを引き寄せた。羽を少し動かして狭い暖炉に新鮮な風を呼び込む。
むき出しの地面があれば、世界の半分をおおう海とかいう水たまりがあれば、どこででも何時まででも存在していられる地精や水精と違って、火精は居場所が限られる。
火を絶やさぬよう番人が見守る古い暖炉か、常に火と煙を吐く山。
滅びた城で消えずにいられたのは、乾いた木の枝を運び入れ、燃えカスを吹き飛ばしてくれる風精《シルフ》たちのお陰。
最後の枝に火を移した。この枝が芯まで白い灰になったら、あたいは冷えて消えてしまう。
「今日は、シルフ達おそいな」
もう火精を飼うのに飽きたのかな。開きっぱなしの窓の外を飛び交う風精にたずねようとして、やめた。
近くに風を感じた。
まだ子供。いや、赤ん坊に近い風精が手ごろな良い枝を落としていった。端に獣脂が染みた布と縄が巻きつけられた…たいまつか。
「こんなモンどこから。それに、見かけない顔だね」
「フリオン!」
うすい胸を張って名乗り、くるくる飛びまわる。またやってきて「フリオン」と胸を張り、かっ飛んでいく。幼い風精の考える事はよくわからない。たいまつは、ありがたく暖炉に引きこんだ。
重い足音がした。人間だ。めずらしい。この辺りに住む連中は、ヴァエル様の怨念を恐れて、城には近づこうとしない。だけど、現れた灰色の娘を見て納得した。ファラ様を滅ぼし、島に居ついたテンプルとかいう無法者のはしくれだ。
「いた!赤くてちっちゃいトカゲ人間」
こっちを指差している。あたいが見えるのか。
「髪の毛が逆立ってゆらゆらしてる。ドラゴンみたいな羽もついてるし。コレでしょ?」
コレって言うな。失礼な。指か褐色の髪につかみかかってヤケドさせてやろうかと思ったとき、懐かしい気配を感じた。足音もさせずに娘の後ろに立った黒い姿。
「ピュラリスか?」
ヴァエル様から逃げ出した供物の分際で、不死を与えられていい気になってた若造。ファラ様のまなざしを、数百年間にわたってヴァエル様から奪った恩知らず。千年もすれば私の元に戻ってくるとヴァエル様は明るく笑っていらしたが…青い眼の奥に、怖い炎が燃えていたのを、あたいは知ってる。
「ここに居たいか。それとも私と共に来るか」
火炎の紋を、血で内側に刻んだ水晶球。目の前に差し出された透き通った牢獄に、何で入ってしまったんだろう。
暖炉から部屋を見ているだけの毎日に、飽きたのかな。40年間、壁と床の石の数を数えながら、風精が運んでくる焚き木を待つのは、退屈すぎた。
もしかすると、青白い死人の肌は火に弱い。嫉妬の炎ではなく、あたいの炎で丸コゲにしてやるつもりだったのかも。
ただ、心残りは…
水晶球に収まってから、なぜ暖炉に留まってたのか、ワケを思い出したこと。しかも目ざとい灰色の娘が、奥の壁の石が少し出っ張っているのに気付いて、ずっとあたいが守ってきた宝物に、汚い手で触った。
いや、それだけなら“まだ”許せる。こともあろうに灰色の娘は、ヴァエル様の宝物を読み上げ、ニヤついて元の場所にもどしやがった。破りもせず、焼き捨てもせず。
「こんな面白いもの、次に来る誰かにも読ませてやんなきゃ」
停滞の呪がかかったガラスの筒に大切に封じられた、恋文の下書きとファラ様からの返事。二つの巻紙を貫き止める、ガーネットのピン留めまで、元通りにして。
でも、こいつらが今へたってるのは、ヴァエル様の思い出を守れないまま水晶に封じられた、あたいの恨みのせいじゃない。
あれから何日、こいつらは地下を歩いてるのかな。昔、ファラ様とヴァエル様が逢瀬に使ってた機械仕掛けの土竜は、炉の寿命が切れてて動かない。さびないレールだけが、夜も昼も無い闇の中に延びている。
「お腹すいたー。もう黒茶は飽きたー!」
「我慢してください、ティアさん。もう少しですから」
「それもう、聞き飽きたぁ」
また騒いでる。生身の娘なんか連れてくるからだ。本当に叫びたいのは、黙って2人分の命を支えてる始祖のはず。いっそ飲み尽くして転化させちゃえばいいのに。みんな不死なら飢え死にはしない。渇いて滅びるかも知れないけど。
「ホントにセントアイランドの地下?一休みしたあと、方向まちがって歩き出したりしてない?」
「数日前から、心話が他の誰とも通じない。もうホーリーテンプルの結界内に入っている」
再び立ち上がって歩き出したみたい。水晶球を入れた物入れも一緒に揺れる。
「ご心配でしょうが、イヴリン様や他の代理人の皆様をお信じ下さい。人が操る船は風任せ。嵐を避けたり流されたり。思わぬ寄り道のせいで、モルはまだ東大陸に上陸していないやも知れません」
この声は、ケモノ臭いドルクとかいう使用人。まったく、太守なのにお供が少なすぎる。いくら辺境の貧乏領主だからって、落ちぶれすぎ。
遠くで笑う声がした。歩みとおしゃべりが止まった。
「今度は死体じゃなさそうね」
「いや、本当の人かも知れません」
この地下通路に声を出す生き物なんていたかな。壁は結露して湿ってるからカビやダニくらいなら。
「来た」
物入れが開いた。湿気た空気と白い指が入ってくる。油の小瓶と一緒に、あたいも掴みだされた。
何、アレ。
アーチ型の天井にぶつかりながら飛んくるのは、頭がデカい変なワシ。飛ぶのが下手くそすぎるフクロウかも。足のカギ爪が光って見えた。
「ピエロバード?」
「違う、頭が人と同じ大きさだ」
異界の鳥に、人の顔がついていた。目を見開き、裂け目の様な口は真っ黒。アザだらけで毛は半分ない。けたたましい笑い声。鳥臭い風が吹き抜ける。
「ネックガード…入り口で見た死体と一緒」
「心は顔ほど原型を留めていない。意思も記憶も、全てが痛みと絶望で砕けている。ピュラリス、頼む。彼女を死なせてやってくれ」
彼女って、あの半人半鳥のこと?油は好物だけど、この鳥女、なんだか気持ち悪いよ。
「焼いちゃうの?もったいない。鳥のローストって嫌いじゃないけど」
「食う気か?彼女は人だ、禁呪で他生命と不完全な合成をされた。聖女見習いとして共に寝起きした仲間じゃないのか」
鳥女が、ティアに怒鳴ってたアレフの肩に噛み付く。
あたいは落っことされた水晶球から飛び出した。転がったビンから滴る油を口に含んで火を吐いた。
鳥女が逃げて、少し離れた天井にぶら下がる。諦めるか、もう少しかじってみるか、迷ってるみたいだ。つまり、力量どころか人数でも勝ち目ないって事、理解できないんだ鳥女は。
「黒茶だって樹と合成された人の成れの果てじゃない。葉が髪の毛なのか皮なのか知らないけど」ティアが笑う「入り口のミイラ。噛まれた痕があった。バックスは助けに来た弟子の血を吸い尽くした後、そいつらで渇きをいやして北へ抜けたのよ」
鳥女が不意に逃げてった。数はわからなくても、食い物にされそうな気配は感じたみたいだ。正直、あの笑い声とうつろな顔が消えてホッとした。
「でも、脱走したモルの研究成果がウロついてるってことは、もうすぐなんだ。地下の出入り口は幾つかあったけど、どうせなら見つかりにくい階段か、まだ入った事がない面白い部屋がいいなぁ」
そんな無責任な希望が、数日後に本当に叶うなんて。
油一口分の役は果たしたと水晶球の中にもどり、ベルトにくっついた物入れの中に収まったあたいには、予想も予感も何もなかった。
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