船療士からせしめた乾燥ハーブの袋を鼻に押し付けながら、ティアは先日から水平線の彼方に見えてる紫の陸地をぼんやり眺めていた。見知らぬ森の香りを詰めた白い袋は、地の果ての村からきたという。売ればひと月は食ってける価値があるらしい。
小袋もらって引き受けたのは、治療の助手。古い帆布で区切られた船底のすみっこへ連れてかれて、初歩の治癒呪しか知らないヘボ治療士のかわりに、寝込んでる水夫に回復呪をかけた。けど、効果はあんまりなかった。湿気ってかび臭い空気とハンモックのせいってのも、少しはあるかもしれない。
あたしと同い年くらいの見習い水夫だから、野菜不足とか働きすぎなら薬と術でナンとかなる。押さえつけて体中さわってヘンな病気じゃないか診てみたけど、シコリとか命の流れのよどみとかは無かった。でも、からだ全体が弱ってる。原因不明。
ううん、ホントいうと見当はついてる。毒虫をうたがって服をひっぺがした時、鎖骨のやや上に治りかけた小さな傷痕を二つ見つけた。
それは船療士がいうように、あか染みたシャツのせいで出来たニキビかもしれない。
昨日どうやって寝台にたどり着いたのか覚えていなかったり、立ち上がれないほど体がだるいのも、頬を赤らめて額をなでる水夫が言うように“若奥様”にうつされた風邪の熱が原因かも知れないけど…流感よりある意味タチの悪いモノがこの船には乗っている。
あたしが眠った後かおしゃべりしてるあいだに、ひどい船酔いで麦ガユもロクに喉を通らない、船室にこもりっきりのヤサ男、という事になっている顔色の悪い同行者が、つまみ食いしたって考える方がすっきりする。
完全に陽光を防げない船室は辛いみたいだし、船酔いというのもひょっとしたら本当かも知れない。でも見かけより元気なはずだ。
それにしても、分かり易すぎ。
船尾の特等船室の奥方と船首の見習い水夫。一等船室がある主甲板はさけて、なるべく離れた犠牲者を選んだわけだ。単純というか、ビビリというか。
引きこもってる船室ごと病原を浄化しちゃえば流行り病はすぐに解決。地面から離れた海の上じゃ、ホーリーシンボルはあたしの精神力が頼り。一発で滅ぼすのはムリだけど、勝機がないわけじゃない。
だけど、あたしにも責任はある。同じように父親を殺された身で仇も同じならと強引に旅に誘った。東大陸はアレフとその父親の物だったし、みんなアレフが何者か解ってて、昼間休むための専用の地下室が町や村にあった。10日に1度くらいの食事で済んでたみたいだし、正直あまり深く考えてなかった。
でも今、アレフは人間をよそおって旅してる。陽光を月光に変える指輪に注ぐ魔力はハンパないみたいだし、最近は風の調子が良すぎるって甲板長さんが不思議がってた。結界の術に精霊術。それじゃあ食事の量と回数が多くなって当たり前。やってるのはアレフだけど原因はあたしだ。倒れたオバサンや水夫に悪い事した気になってくる。
漁船と間違えたのか船にカモメがまとわりついてくる。
あさってか、しあさってには中央大陸につく。それまでに、高熱でまた1人寝込むのかな。
「ティアちゃんが物思いたぁ、めずらしい事もあるもんだ」
「船長さん?」
ヒゲを自慢そうに油で固めて陽気に笑う船長さんは好きだ。死んだ父親も船長さんみたいに目の前の楽しみに精一杯だったら良かったのに。
「あんたんトコの若いの、船酔いは良くなったかい?」
「全然!きっと港についてもヘバってるよ」
だけど、今日の船長さんは笑顔じゃない。
「気になる?熱病のこと」
「テンプルの回復呪も利きが悪いらしいな。で、どうなんだい?」
「あたしは、その、治療院での実地研修、3ヶ月で追い出されたから」
うつむいた頭を、分厚くてあったかい手がなでた。
「ジェフは食い物に気ぃつけてくれてるし、水もおかしかない。鼻水や咳はないが、風邪みたいなもんだろう。それに、あんたんトコの病人よりみんな軽いしな」
「その病人が…」
原因だって言えない。お金だのリケンだので船長さんと取引できればいいけど、怖がって、みんなに教えちゃって大騒ぎになったら、船全体との戦いになるかも知れない。その時あたしはどちらにつけばいいんだろう。人の側かそれとも…。
「ん?」
「また吐いててやんなっちゃうよ」
船長さんが帆桁のカモメたちを追い散らす勢いで笑いだした。
「看病してやりな。ティアちゃんに心配してほしくて仮病つかってるワケじゃあないんだろう」
船長さんが笑いながら船首の方へ歩いていくのを見送って、船尾楼の前を横切ろうとしたら、愛想笑いを浮かべたドルクが立っていた。
「盗み聞き?」
「散歩ですよ。少し思い詰めた顔のティアさんが心配だったのは認めますが」
「アレフを海に投げ込めなんて、船長さんに助言なんかしないよ?」
「風邪ですよ。その程度で海に投げ込むんですか」
「やっと認めたわね」
「何をです?」
ドルクはすっとぼけたまんま。ホントかわいくない。
「でも、アレフ様が滅びてしまわれたら私も…」
言いかけたドルクが口を閉じる。なんか引っかかる言い方だ。
「アレフは? また風邪を流行らせにいってんの?」
ドルクは笑って空を指差した。帆布の間からみえる太陽がまぶしい。もうお昼か。
「眠っておられます」
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