甘美で苦しい夢が始まる。
ハツラツとした手足。真剣な瞳。日の光をいっぱいに浴びて輝く密色の髪。アレフの求めを拒絶した娘。血の提供に首を横に振った始めての人間。
ネリィは教会の事を語った。それは受売りで好みの理屈や教義だけを抽出した勝手なものだったが、過去から続く慣習を打破する心理的な後ろ盾を彼女に与えていた。
諦めないこと…
捕えられ、見せしめに両手を奪われた男がアレフに語った、屈伏しない理由。
落ち着いて穏やかに迫害者の1人に話す、力を持った言葉。
「明けない夜はない…」
「人の術で作られたものなら人の術で打ち破れる…」
「元は同じ人であったのに、なぜお前は人から命を盗む?」
それは200年の時を経て一つの思想になっていた。
アレフを沈黙させた静かな問いは、かなり過激な活動に変化してるようだった。驚きは興味を産み、ネリィとの会話を楽しむ中、彼女の理解がアレフより浅薄なのを知ったが、その頃には瞳のきらめきや常に変化する感情。不可思議な感性に魅かれていた。
聞きかじりの教義は彼女の一部でしかなかった。
共にいながら完全には理解しあえない心の響きを楽しむようになった。理解できないのに離れがたく結びついていく想い。生身の肉欲からは開放されているはずなのに、存在を確かめるために抱き締めたくなる衝動を感じていた。そんな事をすれば怯えて遠ざかると分かっていたから、つとめて距離は保ち続けていた。
距離がなくなったのは、いつものように呼び出した後、ネリィのおしゃべりを聞きながら木にもたれかかって目を閉じていた時だった。
虫の声や、風が星の間を渡る音を聞きながら、すぐ側に柔らかな体が近づいてくるのも感じていた。野性の小鳥がどれだけ近くまで来るのか確かめるように動かずにいた。触れるほど近づいた時、あたたかな唇が押しつけられた。
驚いて目を開けたとき恥じるような訴えかけるような目に出会った。咎められるかという不安に目が宙をさまよいながら、口は決意に引き結ばれていた。勇気…その一言で示される心が彼女の魅力の根幹だと分かった。
思わず抱き締めた時、彼女の体が恐怖でこわばった。しかし抵抗はなかった。糧にされるのを覚悟した上での想いを伝えるキス。目を閉じ喉への痛みに耐えようと固く閉じた唇を冷たい唇で塞ぐ。緊張が解けた温かな唇が蕾のように開くのを奇跡のように感じていた。おずおずと細い手がアレフの体を抱く。
なぜこんな無意味な情熱が存在するのか理解できないまま唇の感覚に心を奪われていた。遠い記憶にある荒々しい衝動も体の変化も起きない。生殖に何の寄与もない結びつき。それでも、本当に生きていた頃にした経験より、鮮烈で重大なものだと感じていた。
同じ感情を彼女も抱いているという認識が生み出す幸福感。何よりこれは術で生み出した偽りの心ではない。
そして世界は変わった。
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