50年前の悔しい思いが蘇る。
老人がまだ、少年だった頃。
体が弱かった自分の分まで、元気一杯に家を手伝っていた姉は、本当に美しかった。
肉親である少年の目にも姉は輝いて見えた。村の若者たちは姉にさまざまな贈り物をしては、しつこく求婚に来ていた。
男勝りな姉は子供の頃から、木登りもウサギ狩りも、弟より上手かった。熱を出しては伏せることの多かった少年に比べ、姉は風邪も引いた事がなかった。幸せな人生が、姉には約束されていたはずだった。
代理人はまだ前の代だった。山の城主が来る日、村の女たちは総出で代理人の館の掃除にかりだされ、わずかばかりの金をもらう。数週間に一度の行事、いつもの事だった。そして夕刻とともに訪れる賓客を出迎える。そんな、なんでもない行事が悪夢に変わったのは城主が代理人にささやいた瞬間からだ。
「あの娘は?」
膝を軽くまげ歓迎の態度をとっていた若い女たちの間を無言の戦慄が走った。
「…マネの娘、クリスです」
一瞬のためらいの後、代理人が答えたとき、気丈な姉の手がぶるぶると震えていたと隣のおかみさんから聞かされた。
「クリス、お前の血を少し貰いたいが、いいかな」
城主は銀髪の若い男の姿をしている。涼やかな声も外見に相応しいというが、姉にとっては地獄から呼ばわる声に聞こえた。そう後で聞かされた。
城主は数週間に一度、代理人の生血を吸いにくる。しかし何年かに一度、不意に気紛れを起こして代理人以外の村人の血を求めることがある。命の輝きに魅かれるのだと誰かが言っていた。その時もっとも生命力に溢れ輝いている者を指名する。
本人に許諾を求める口調だが拒否できるものではない。この村はもちろんこの大陸全てを二人で支配している権力者…というだけでなく、天候を操る魔力を持っている。彼らが制御しているから、毎年の豊作が約束されているのだと聞いた。もし、機嫌を損ねれば村の一つや二つ、豪雨で押し流されてしまうと。
「はい…ありがとうございます」
姉が、かろうじて口にした答えを聞くと城主は代理人の屋敷に入った。
駆け戻ってきた姉は顛末を話した後、呆然としている家族に健気に笑ってみせた。
「で、何を望みましょう」
見返りはあった。ある程度の金銭や財産が血の対価に支払われる。少年はもちろん母も父も無言だった。
「命まで取られる訳じゃないんでしょ。そんな深刻にならなくても」
姉は笑っていた。
家の扉が軽く叩かれ、家族の沈黙は深くなった。城主の従者が迎えにきていた。ドルクと名乗った従者は丁寧な口調と態度で、両親と姉に、代理人の家への案内を申し出た。同時に何か望みはあるかと尋ねた。
家族の誰もが言い出さぬ中、姉が少し寂しそうに言った。
「弟がお嫁さんをもらうとき、結納にする家畜がほしい。
それと病気がちの弟を元気にする薬って、ありますか」
ドルクは少し考えた後、少年の手足や腹に触れ、目を覗き込んでうなづいた。
「望みは叶えられましょう」
夜の闇の中、姉は手を引かれて代理人の館へいってしまった。
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