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吸血鬼を主題にしたオリジナル小説。 ヴァンパイアによる支配が崩壊して40年。 最後に目覚めた不死者が直面する 過渡期の世界
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久史都子
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女性
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隣でカギを使う音がしたあと、彼女は全身を耳にして様子を伺った。食事の差し入れではない。では尋問だろうか。闇の生き物どもは足音を立てないのがやっかいだ。何人かも分からない。

怯えた息遣いと短い悲鳴、乱れた擦り足。
「私の目を見なさい」
しゃがれた早口の言葉が聞き取れたとき全身に冷水を浴びせられたような気がした。
「お、俺より、隣の女のほうが旨そうだと…」
恐怖のあまり仲間を売ろうとする情けない言葉は、争う物音の後、苦鳴に変わった。しばらく抵抗しているような気配はあったが、やがて何の音もしなくなった。

屈強な聖騎士を襲った運命の正体が何か彼女には分かった。
眠り姫が目覚めた。40年ぶりに。
恐ろしく渇いているに違いない。
自分たちはちょうどそこに乗り込んだのだ。
(良いところに来てくれました)
ワーウルフの笑みの理由が分かる。そして生け捕りにした理由も。

夢中で奪われたスタッフを探している自分がいた。そして絶望感に呻く。何もかもが奪われていた。ほんの小さな護符まで、ヴァンパイアから彼女達を守ってくれるものは何一つ残っていない。

格闘技の心得はあるが何の役に立つだろう。彼女より遥に力が強く戦闘にも長けた男が、今餌食になっているというのに。普段まとっている法服や護符に対して、あまり意識したことは無かったが、失った今になって、どれほど頼りになるか痛感していた。

彼女は分厚いカラを奪われた剥き身の貝の気分を味わっていた。摘み上げられ口に放り込まれるのを待っているだけの無力な存在。
喉からすすり泣く声が漏れる。止めようとしても止まらない。声を立てれば魔物の関心を引いてしまう。黙って気配を殺さなければならないのに、体は震え、息をする度に声が漏れる。それが泣き声になる。見習いの頃一度しか泣いたことは無かったのに、今、子供のように恐怖に震え泣いていた。

うずくまっていた彼女の目に黒い影が映った。鉄格子の向こうに音もなくふわりと現われたのは、マントをまとった背の高い人影だった。仲間の死を確信した。血を吸い尽くして殺し、一人では満足できず次の犠牲者を求めて来た。暗くて顔はよく見えないがこちらを見たのが分かった。暗い死の運命そのものにみつめられている気がして、冷たい絶望に心をつかまれる。助かる術はないか考えても思考は空転する。

目を見てはいけない。ヴァンパイアの目には魔力がある。見たら最後意志を奪われ、怪物の意のままにされてしまう。
彼女は目を閉じた。真の闇の中でカギを使う音がした。
入ってきた。
「来ないで、化け物!」
喉を両手で包んで守り目を閉じる。腕が恐ろしく強い力で掴まれ引上げられた。苦痛に声が出る。あっさりと喉を包んでいた手は引き剥がされた。

血の匂いがした。先に犠牲になった仲間の血の匂いだ。冷たい唇が無防備な喉に触れた。
「いやあっ!」
 叫んだ次の瞬間、喉に激痛が走った。牙が突き刺さる音を聞いたような気がした。

彼女の血を容赦なく吸い始めるヴァンパイアの震えるような喜びを感じた。精神を支配しようとしている。混乱の中で彼女は悟った。今、心が繋がりかけている。喉に突き刺さった牙といっしょに入り込んでくるヴァンパイアの意識を締め出そうと身悶えた。逃れられないまま相手の心の力が強くなり彼女の気力は弱まっていった。

その中でヴァンパイアの名前がアレフだということを知った。今、アレフは彼女の血を思う存分味わって歓喜している。そして彼女も同様に感じるべきだと思っている。奉仕する幸せ。血を吸われるのが至福だと感じるよう、高揚感と共に彼女の心の奥底に刻み込んでいる。痛みをともなった倒錯した恍惚感はどこか性的な快楽に近かった。身を滅びへと駆り立てる自虐的な喜び。アレフに全てを捧げつくし死ぬ事を望む自己犠牲的な愛に似た感情。

朦朧《もうろう》としてきた意識の中でアレフの深刻な飢えも理解した。あのぐずの司祭も彼女の後でアレフの口づけを受けるのだ。隣で怯え切っているのがアレフの意識を通して感じられた。

意識を失う前、アレフの新しくて古い傷が見えた。自分のせいで恋人を早死にさせてしまった後悔の思い。人のままなら老いさらばえた姿でもまだ生きていたかもしれない。恋人が永遠の命を望んだとき強く反対しなかった己の弱さを恨む思い。ネリィの幸せを望むならいっそ別れるべきだった…たとえ共に暮らせなくても生きてさえいれば。

意識が闇に沈む前、彼女が感じたのは嫉妬だった。

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