樹脂をぬってツヤツヤに磨き上げた木のカップが3つ並ぶ。注がれた黒いお茶が白い湯気を立てる。
「疲れが取れますよ」
お菓子のお皿を置いたあと、頬骨の目立つ指の長いおばさんは笑顔を残して奥の部屋に消えた。敷布を伸ばす甲高い音がかすかに聞こえる。
シブさも甘みも、サウスカナディ城で飲んだお茶より強い。でも、青臭さは控えめ。むしろイイ匂い。産地だからかな。それとも意地悪な自動人形《オートマタ》より、アニーっておばさんの淹れ方が上手なだけかな。
素朴な甘さが取り得って感じの香ばしい菓子をほお張りながら、ティアは黒茶をもうひとすすりした。
横から、菓子を入れた木皿が押しやられくる。
「くれるっていうならもらうけど、これ、けっこう強烈な歯ごたえなんだよねぇ。アゴが疲れるからお茶も欲しいなぁ」
「飲みかけ…だが?」
「もう十分、飲んできたんでしょ」
どうもイヤミが通じてないようだから、付け加えた。
「テオって人、大丈夫かなぁ。吸血鬼をブチのめしたいなら、ここで待ってれば良かったのにね。みんな森で探してるみたいだけど、見つからなかったらどうなっちゃうのかな?」
テーブルにヒジをついて、だんだんこわばっていくアレフの顔をのぞきこむ。
「…どうぞ」
「やっぱ、いらなーい」
カップをつき返す。わざわざ息を吸い込んでから吐く、無意味で暗いタメ息が、耳に気持ちいい。
「ティアさん」
にらむドルクには舌を出してやった。
見上げると、屋根を支える黒ずんだハリとケタ。太い柱にはキレイな木目。あたしが生まれ育った館より一回り小さい。けど、使ってる木は太くて継ぎ目がない。
木や花が彫刻された食器棚や引き出しは立派。曲線で出来た木のイスは座り心地がいい。ここは代々、ホープ家のものだったのかな。
窓にガラスははまってないけど、揺れてるカーテンにはヒシ模様の刺繍《ししゅう》。糸を抜いた部分から光がもれてる。外に揺れてる臭いのキツい魔よけと同じ形。
「ところでさぁ、タックさんちの魔よけ、壊しといた?」
招かれたとはいえ、平気でここに入れたって事は、アレフには効果薄そう。“なりそこない”なら数滴で指の1本や2本、灰に出来る聖水も、軽いヤケド程度だし。ラットルのホーリーシンボルにも耐えた。やっぱ長い時間が魔物を強くするのかな。
「あの程度のもの。少しばかり魔力と読心が阻害される程度だ。壊す必要など」
「壊しとけばバックスたちのしわざになるじゃん」
納得してない顔で黒茶を舐めてる。法がどうのとうわべはキレイごと並べて後悔してみせるけど、心の芯では血を吸うのを悪い事だって思ってないんだろうな。
もし疑われても、言いワケして村を出て、なるべく早く城に向かう。シリルからの距離は半日足らず。場合によっては半刻でつく。交渉しなきゃならない相手は、きっと村人より厄介でキケンだ。
「手を結ぶって言葉はいいけど、結局は甘い言葉でダマして脅しての取り引き。エグいコトして、相手に言うこときかせるってコトだよね。最後はモル殺しの罪も何もかもバックスにかぶせて、東大陸だけは火の粉をかぶらない」
「それ…は」
モゴモゴした反論は、古いシーツと枕カバーを抱えて出てきた、おばさんの声にかき消された。
「用意が出来ましたよ。徹夜で街道をきたのなら、少し仮眠をとっては?黒茶って元気も出るけど、心が安らぐから、心地よくお昼寝できると思いますよ」
用意された部屋も気持ちのいい木の香りがした。ベッドが4つ。リネンのシーツの下は羽毛の寝具かな。小さなテーブルにイスとチェスト。お客さん用の寝室によく使われているのか、窓には染めた糸をおった厚いカーテン。
「では、午前中はわたくしが番をしています。お2人は先にお休みを。昼を過ぎたら、あとはティアさん、お願いしますよ」
「ふぁーい」
あくびをしながらブーツを脱ぎ捨てる。
いちいち上着まで脱ぐアレフに一言いいたいのをこらえる。寝ずの番がいる状況で、すぐに逃げられない格好で横になるってどうなのよ。あたしなんかホントはクツも脱ぎたくないのに。
切れ切れの夢の中で、何か話し声が聞こえて目を覚ました。
この声はアレフ…か。吸血鬼も寝言いうんだ。いや、起きてるのかな。
「ちょっと、うるさい」
「どうなさいました?」
「小麦が…」
「小麦?それならドルクが1人で倉庫に積んでくれたわよ。あんたがフラフラ散歩してるうちに」
「あの小麦の袋ではなくて」
言いかけて黙り込む。説明しようとすると、頭の中で色々組み立てなきゃイケないらしい。ホントまどろっこしい。
「最初は、ドライリバー周辺の小麦の値が下がっているという話だった」
「豊作はいいコトじゃない」
「麦の出来は去年と変わらない。いや最初はいい傾向だと思っていた。ドライリバーから安く小麦が買い付けられる。だが、東大陸へ向かう商船が減り、小麦がダブついて安くなってたらしい」
「森の大陸がこんな状態じゃ、東大陸に仕返しがあっても、おかしくないか。やーい、諸悪の根源」
「…先ほどホーリーテンプルから東大陸への小麦の輸出を禁じる触れが出された。キングポートにその知らせが届くまで半月もない。その間に出せる船はわずかだ。このままでは冬には備蓄がつきる」
「昔はイモとライ麦とカラス麦で、なんとかしてたんでしょ」
「40年前とは人口が違う。それに、移民たちは小麦なしの食事に耐えられるのか?豪商が去り職人たちが腕を頼りに出ていけば、全てが立ち行かなくなる」
「捨ててきた故郷のことなんてどうでもいいじゃない。それはバフルのイヴリンおばさんや、クインポートのムカつく町長とかが考えることでしょ。もう、あんたは自由なんだから」
深刻そうな男どもの顔見るかぎり、割り切るのは無理そう。
それより、いま小麦を止めたホーリーテンプル。ううん、実家の利益を犠牲にするような触れをだしたメンター先生。一体なに考えてるんだろう。人形劇であおられ、モルの銀の船に熱くなった人々が、アレフをとっちめてやれって騒いだから…なんて、単純な話じゃないハズ。
メンター先生は、得にならない事はするなと言った。このままじゃ、シンプディー家も他の政略結婚で繋がった豪商たちも、大損だ。先生は色んなものを失ってしまう。
小麦を作った農家の人も困る。東大陸の人はもっと困る…どころか人死にが出るかも知れない。アレフが一番嫌う人死に。
もしかしてアレフが、シリルに入ったから?バックスと手を組ませたくなくて…というより、このままじゃ破滅しちゃう森の大陸をどうにかして、シルウィアやドラゴンズマウント領から麦や砂糖を東大陸に、なんて考えるよう仕向けようと…。
ううん、そんなハズない。もうこのあたりの教会は役目を果たしてない。確かに連絡用のハトも荷馬車に乗せてきたけど、もう色煙の台に人はいない。もう目なんて届か…あ。
「あのさ、おばさん、どうしてる」
「おば…イヴリンなら対応に苦慮して召集を」
「そっちじゃなくて、ダイアナの方。エクアタであたしを縛り上げた聖女サマ」
「彼女はホーリーテンプルに入ってから心話も通じない。既に呪縛自体、解けているかも知れない」
「本当に?本当に通じない?」
苦笑して試したアレフの顔がこわばった。
「どうしたの」
「…煙花。心も体も、煙が見せる幻と陶酔に蝕まれて、もう」
そっかヤバい薬を使って、血による呪縛を解かないまま、こっちの動きを探らせてたんだ。吸血鬼と犠牲者の共感現象を利用して。
じゃあ、あたし達はメンター先生のてのひらの上ってコト?
それはちょっと面白くない。
1つ戻る 次へ[0回]
PR