この地から憂いをぬぐえだと?
作られた眷族の分際で不死者を穢《けが》れあつかいか。
尖った黒屋根をいただく円柱の高楼をアレフは見上げた。無数の気配を宿しながら小さな窓には灯ひとつない。丸みを帯びた大小の石が隙間なく積み上がった様はバフルの石組みに似ている。だが、雨が多いのか単に古いのか、城館の壁には縦筋が多い。
振り返れば我ら4人を送り出した深い森。高い塀か小山の様だ。その一角に、土と周囲の樹を黒く焦がす火事の跡。北の空に浮かぶ半月が暗いくぼ地を覗きこむ。
そこに根を張り枝を広げていたトネリコが焼かれなければ、ドライアドは人や不死者の命運など、無視したのではあるまいか。
ドルクが背負う白木の弓は、トネリコの大樹の娘が、命と引き換えに身から削りだしたもの。バックスに焼かれた母の仇を討ってくれと託された。だが、彼女の言葉は本当だろうか。バックスをグリエラスと間違えたなど…
ティアの話が事実ならバックスは白ヒゲの老人だ。グリエラスは黒髪。壮年の姿のまま時を止めて数千年、森の主であったはず。確かに、別種の個体は見分けがたい。だが、白猫を黒猫と見間違えるものか。
ドライアド達の肉体は樹木だが、精神体は女の姿をとり人語を解す。グリエラスが造りし人の心を持つ長命な眷族。見目のいい男を取り込み、子を成す事もある彼女らに、人の顔の区別がつかぬワケがない。
森を侵し牧草地や畑に変えたせいで不興を買ったという村長の言葉は真実のような気がした。木を植えなおすとしても茶樹やコカラ豆といった換金率の高い木ばかりを育てる、私欲に走った園丁に対する罰。それが、テンプルが造りし吸血鬼を、森に守られた城に受け入れた理由ではないか。
これ以上、人の手で森の在り様がゆがめられては病害虫が発生する。それを恐れて、人に若木を間伐させるように、余分な人を間引こうとしたのではあるまいか。バックスらが広げる不死の呪いを黙認し助長して。
そして、後始末を私に押し付けるか。
始祖を害することが、どれほどの大罪か知らぬわけでもあるまいに。企むだけでも、死罪か鉱山送りだ。
森にあまねく広がる目であり耳であるドライアド共は、見聞きした反逆のきざしを、葉と根で伝え合い、グリエラスに密告していたはず。だからテンプルは、厚い石壁にかこまれた地下の金庫室で、破邪の呪法を編み出し、研ぎあげたと聞く。
だいたい旧法上、秩序を乱した始祖に滅びを与える資格を持つは真始祖ファラのみ。彼女を喪った今となっては、最年長者…私、か?
そんな重荷、とても背負えない。
「おい、足がすくんだのか。おいてくぞ」
ひざ上まで垂れた鎖帷子《くさりかたびら》だけでも重いだろうに、にぶく光る被り物もして、大剣まで背負っているテオ。確かに体格と腕力は一人前以上だが、中身は幼さを感じるほどに単純だ。
その剣で断とうとしているのが何者か、分かっているのだろうか。元は人だったもの。親戚や知人がいるかも知れぬ。“なりそこない”と違って、彼らの心は失われていない。姿もほぼ生前のままだ。
「ちょっと待ってよ。お腹へってない?」
テオを追い抜き、灰色の法服と蜜色の髪をひるがえして振り向いたティアが、バスケットを突き出す。
「半日食べてないでしょ。もしかして朝からじゃない。森にいる間はドライアドが何とかしてくれてたのかもだけど、この先、パンだの壷シチューだのノンキにパクついてられないと思うの」
「わたくしも夕食に賛成でございます。空腹で倒れた剣士など背負いたくはございません。その重そうな剣を置き去りにしてもいいなら、話しは別ですが」
ドルクは分かっているはずだが、この状況で夕食。日常性が、かえって非現実にすぎる。
「結界は任せたから」
かつては城と森の境界にあった倒れた石柱に腰掛け、ティアがバスケットの中身を広げ始める。城壁に切られたボタン穴のように細長い窓から、敵意ある視線がにじみ出すのを感じた。
仕方なく、6方向の草を結び、方陣で倒壊した石柱をかこむ。
これで、軽い呪法ていどなら弾ける。結界の外からこちらの姿は見えにくくなり、会話はこだまして聞き取れぬはず。
最初は腕組みしていたテオだが、ティアがパンをかじり始めると、ドルクからリンゴを受け取った。やがて黒茶をすすり、ぶつ切りの干し魚や根菜にキノコが絡む壷煮をパンに載せて貪り始めた。よほど飢えていたらしい。
「アレフは食わないのか?」
元々3人分だ。食べるまね事をしてわざわざ吐くような余裕はない。
「村で食事は済ませてきました」
テオの伯母の味は覚えていない。支配できないイラ立ちと焦りに駆られ、楽しむ余裕はなかった。だが不味くはなかったはず。今のところ渇きは感じない。
「私の分はさしあげます。遠慮なくどうぞ」
「あんた、いい人だな」
表裏のない素直すぎる言葉。
私は善人ではない。人ですらない。苦笑する他なかった。
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