「増えたねい」
脇に挟んできた経緯報告書の束を置く場所に困って、モリスは苦笑いした。副司教長の執務机は寝そべるコトが出来るくらい広いはずだが、今は手をつくのも難しい。つまみあげた厚い承認書には3本マストの外洋船の構造図がついていた。
「すでにウェンズミート方面には寄付を求める触れ文《ふれぶみ》が回っている。表向き、今回の遠征もテンプル上げてのモノだからね。無視を決め込む事も出来んよ」
目頭をもみほぐしながらメンターがボヤく。そろそろ徹夜は止めさせた方がいいな。茶に眠り薬を盛るようミュールに言っておこう。
それにしても、うっとうしい雨の朝だ。窓を叩く無数の水滴をみていると、古傷が痛む。気分が滅入る。
「普通に風を待って定期船に乗りゃあ安く済むのに、なんでモルの野郎は、てめえだけの船を欲しがるかねぇ。
鉄鋼組合の新しい帆船を買い上げるだけでも、えらい金がかかるのに、銀メッキの鉄板で補強かよ」
「夜は吸血鬼が苦手とする海に逃れ、他の船から矢や攻撃呪を仕掛けられても対応できるようにというコトではないかな。そして森の大陸でバックスを滅ぼしたあと、シリルから東大陸へ渡るには船が要る」
「なるほど。出てねぇ定期船には乗れないか」
森の大陸と東大陸の交易は例外なく禁じられている。だが、禁じた当のテンプルは、埒外《らちがい》か。
「で、そっちはどうだったね?」
引退司祭が遺した邸宅を、新たな施療院にする。そのためにモリスはここ数日、聖女たちと共に走り回っていた。
屋敷を改装してくれた大工や職人、ベッドや薬を納入してくれた商人に説明した表向きの目的は、キニルの貧しく病める者たちの救済。しかし重要なのは3階の奥の部屋。もっとも厳重な主の寝室を改装して作った特別な病室。
「移した者の内、3人は症状が改善し3人は悪くなった…アニーも悪くなった方だ。ハジムを含むあと2人は、あんまり変化が無い」
テンプルの結界から外に出て回復したということは、3人の呪いの元は本山の足元にいるってコトか。なんとも薄ら寒い話だ。
そしてバックスの血脈に連なる吸血鬼の犠牲者は2人に特定できた。
「悪くなった犠牲者は元の部屋に戻してやってほしい。アニーをのぞいて」
「手配は済んでるよ。ここに署名してくれたら、すぐに再移送するさ。けど、アニーに煙管《きせる》くわえさせて暗示をかけて質問するのは、ちょいとな」
「ダイアナは納得したと言っていなかったかな」
黙ってうなづく。仲間の仇に呪縛されている現状を悩んでいた彼女は、進んで幻惑の煙を吸った。血の絆を結んだ主を裏切り、その動向をモリスに伝えるために。
「煙花の夢の中でダイアナは何を語った?」
「白い山が見えると。プラムとオレンジの果樹園を下る山道。目指しているのは赤い屋根と白い壁の港町…だとさ」
「アレフは山越えを選び、間もなくベスタにつくか」
「モルがウェンズミートにいると、アニーを介して伝えたらいいのか?」
メンターは首を横に振った。
「何もしなくても、読み売りか人形芝居で知ることになる。こちらの手の内はさらしたくない。何よりダイアナに注意が向いて、裏切らぬように強く呪縛されたら困る」
その点はモリスも同感だ。
だが、メンターが最終的に目指している未来が分からない。モルがアレフに殺されたら、誰が森の大陸に逃れたバックスを浄化するのだろう。まさか俺…か?
「森の大陸の方は、新たな討伐隊を行かせるんですか」
「バックスが生前と同じくらい冷静なら、いずれ事態は沈静化する。そうでなければ、勝手に増えて飢えて滅びる」
突き放したような物言い。うっすらと笑みを浮かべた顔。魔物に相対した時より、モリスは落ち着かない気分で報告書を置いた。
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