ティアは見知らぬ家の玄関へ突撃した。ドルクが立ちはだかる。
「どいてよ!」
扉のむこうでは、出迎えた住人をアレフが金縛りにして牙にかけようとしてるはず。
「アレフ様は食事を邪魔される事を好まれません」
低く押し殺したささやき。
「食事?!」
言い方にムカついた。
「罪もない人を無理やり餌食にするんでしょ。そんなの法に反する…」
そこまで言ったときドルクに口をふさがれた。
「納得できなくても目をつぶってください、船の時のように」
見逃せといわれても、後で知ったのとド最中じゃぜんぜん違う。
だけど多分、これから町に入るたび繰り返される日常。
静かさが戻る。
「たすけ…」
扉の奥で上がった女性の声が不自然にとぎれ、そのまま沈黙した。ドルクが目を閉じて首を振る。
もう間に合わないのは分かった。
アレフは今どんな顔をしているんだろう。罪の意識にさいなまれながら呪われた身が求めるまま義務のようにそうしているのか、単純に食欲を満たす喜びにひたっているのか、冷酷に餌食が弱っていくのを見つめているのか。
いつしかドルクの手は口から離れてた。
「しかた、ない…だよね」
左手の指にはまった紅い指輪。仮そめの不死を与える指輪の力で助かった事は1度じゃない。アレフの魔力があたしの命とドルクの命を支えている。間接的にアレフの犠牲になった人々の血であたしは生かされてる。
「アレフが滅びたら、私も死ぬんだよね」
「ティアさんは…1度死んだら2度と生き返らなくなるだけです」
そっか、じゃあ命と引き換えに、なんて悲壮な決意にひたる必要ないんだ。利益になると判断したら滅ぼしてもかまわない。
でも…
前から疑問に思ってた。
「ドルクは?」
あたしが小さいころ見たヒゲオヤジは中年だった。父さんが子供だったときも似たような年恰好だったって聞いた。でもヴァンパイアじゃない。ドルクの手は温かい。
ワーウルフというだけでは不老は説明できない。
不死身は紅い指輪の効果だとしても。
ドルクが黙って目をそらす。
そっか、アレフが滅びたらドルクも一緒に滅びるんだ。闇の子じゃないけど、それに近しい存在。細かい理屈は分かんないけど、納得した。
赤いニスがぬられた扉が静かに開いた。あたしを見たアレフの顔がこわばる。
「終わりましたか」
ドルクは声も無表情だった。あたしは背を向けた。
この家でアレフの口づけを受けた女性は、2度と戻らないかも知れない黒い旅人をずっと待ち続けるのかな。それとも船で噛まれた人みたいに全て忘れてる?
どっちにしても、心がアレフの支配下にあるのは間違いない。
「ティアさん、行きますよ」
アレフに続いて門から出たドルクが小さな声で呼ぶ。
あたしは扉を振り返ってから道に出た。
肩をすりそうな狭い道を行く黒い背中をおおう優雅なヒダも、石畳を静かに踏むブーツのカカトも、なんとなく満ち足りて落ち着いて見える。
あたしがこの町に導いた災い。
…先生に借りた鍵を使って、ホコリまみれの書庫で見つけた解呪のレポート。ラスティル聖女が組み上げて、検証もされないまま忘れ去られた解呪の術式。
夢中になって読んだけど、触媒の入手はまず不可能だと放り出した。でも今、記憶の底に沈んだ方陣と工程を、いっしょうけんめい引っぱり上げようとしていた。
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