ティアが目を開けると、独りだった。
日の光を白くさえぎる霧の中で感じたのは、手足を縛られたきゅうくつな痛み。
習慣で巡らせている心の壁を解くと、戦いが戻ってきた。最後の力を振り絞ろうとしているドルクの覚悟と、囲まれて活路を失ったアレフの焦り。
砂混じりの細い風を呼んで縄を削る。死にかけた馬の哀しい鳴き声に、ホーリーシンボルの詠唱が混ざる。
死んだふりしてたドルクが斧を投げた。剣を振りかぶったまま、オットーが倒れる。さすがはオッサン、見事な不意打ち。
でも、アレフは…
ダイアナを殴り飛ばしたのはいいとして、何でハジムにカカト落とし食らって倒れんのよ。それも法陣のド真ん中ってあり得ない。
「ごめん、約束はムリだから」
操られてたフリして、全部アレフのせいにして、お咎めナシなんて最初から望んでない。
手首が剥けるのもかまわず縄を引きちぎる。馬車の下からスタッフを引っこ抜いて、横に払って走った。
ホーリーシンボルが発動される直前、ルスランの頭を後ろからスタッフで横殴りにした。
手加減、出来なかった。
驚いて、振り返って、くたっと地面に倒れてった。
地面に赤い水たまりを作りながら、あたしを見上げてる目は、無念と哀れみ。ルスランにとってあたしは、もう少しでヴァンパイアの呪縛から救い出せた可哀想な操り人形。
霧が薄れていく。
朝焼けを映してるけど、もう何も見えてない眼。頭骨を砕いた感触が、しつこく手に残る。
「仕方ない、よね」
だって、本当に強かったから。殺らなきゃアレフは消滅してた。
仲間を奪ったあたしを呆けたように見てたハジムに、アレフが術をかける。気力を奪う呪いみたいなやつ。あたしを介して治した左目にやっと気付いたんだ。今さら遅いっての。
終わった。
誰かが通りかかる前にみんな隠した方がいいよね。でも死体って重い。もう、近くの茂みでいいや。半日ほど見つからなければそれで十分。血とかは土をかけとけばいいかな。
背骨をやられて死に掛けてるオットーは…
「恨まないで下さいよ!」
ドルクが這いずって、剣でトドメ刺してくれた。
「吸血鬼のくせに、陽の下で動けるなんて反則」
げ、ダイアナおばさんてば、倒れたまま笑ってる。殴られたとき頭でも打ったかな。
「見習いの子は解放してやって! 疑いをそらすのに法服が要るなら私が代わりになる。もう糧にするのは、やめて。罪を重ねさせないで」
泣かせること、言ってくれてるし。
「なら…ネックガードを」
アレフもイジワルだな。連れてく気ないくせに。
うそ、首の防具、外しはじめた。
本気、なんだ。
この人達、あたしを助けに来たんだ。
そんなの、重いよ。
「ここでティアさんを放り出されたりはしません。少し無理をされて喉が渇いておられるだけです」
「うん…治癒呪かけるね」
オットーの首に剣を突き立てたまま、座り込んでるドルクのキズを治した。
斧をぬぐったドルクが、オットーの死体を引きずっていく。
振り向くと、オバサンはアレフに抱きしめられていた。
心かくすのヘタだから、きっと連れてく気なんて無かったのも、あたしの事も全部バレちゃってるんだろうな。血の絆って便利そうで使いにくい…ウソがつけないって残酷だ。
アレフが、木陰で空を見つめているハジムの横にダイアナを寝かせる。事情を知らなかったら、2人して木陰で逢引きしてるみたいだ。
「すまない、私が不甲斐ないばかりに、手を汚させる事になって」
「何を今さら」
立ち上がったアレフは不思議そうな顔をしてる。
「心や命まで失う危険を冒して、彼らが私を討とうとした理由が分からない。追うなと指示されていたはず」
「マジで分かんないの?」
うなづかれて、考えて…思い当たった。
「そっか、アレフって生まれた時から領主の跡取りで、立場と目標が決まってたんだ。
でも普通は無いんだよ。自分でなりたいモノ探して決めて、人生の全部をかけて、なろうと頑張る」
あたしの30倍は生きてるジジイに、大マジメに人生語るのって、ちょっと照れる。
「あたしも物心ついたときから身の振り方、ずっと考えてたよ。代理人は世襲じゃないから。
小さい頃は金持ちのお嫁さんとか、食べ物屋さんとか、他愛ないもんだけど」
「でも、聖女になった」
懐かしい気分が、胃をねじる苦い思いに変わる。
「クインポートの教会で文字を習ううちに…あんたを滅ぼせば父さんがあたしを見てくれるって思う様になったから。
聖女は手段。あたしは父さんの娘になりたかった。父さんに恨まれても、一緒に処刑されてもいいから。父さんの1番になりたかった」
アレフが顔をそむける。今はこれぐらいにしておこう。
「この人たちは…きっと英雄になりたかったんだよ。吸血鬼を倒して夜明けをもたらす、人形劇の主人公になりたかった。だから気に病む事ないよ。こうなるのも、覚悟してたはずだから」
全てを負うのはあたし。アレフを巻き込んでここまで連れてきた。そして、こいつらに捕まった。
次からは、あたしが戦いを仕切ろう。カタキ討ちなんて空しいと心の底では醒めてるアレフに、不本意な責任や罪悪感を押し付けるわけにはいかない。
何より、強敵に遭うと防御で手一杯。浮き足立って、ロクな指示も出せないまま、自滅しちゃうタチみたいだし。
ドルクかあたしが指図する方が生き残る確率、高そうだもの。
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