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吸血鬼を主題にしたオリジナル小説。 ヴァンパイアによる支配が崩壊して40年。 最後に目覚めた不死者が直面する 過渡期の世界
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久史都子
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女性
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「またアンディのお供か。人の恋路に付き合ってないで、自分の相手を見つけたらどうだい」
「しょうがないよ。俺はあいつの引き立て役だもの」

北から熱い風が吹くこんな日は、塩入りオレンジが何よりのご馳走だ。1口飲んだカップをカウンターに置いて、タリムは台所の奥を見るふりをした。すけべ顔の給仕はアンディがドリーと裏庭でよろしくやってると思ってる。

アンディがモテるのは仕方ない。長い手足と栗色の髪。涼しげな目に不敵な笑み。あいつが口説いた娘たちは、愛の力でアンディを働き者の真人間にして、幸せに暮らす未来を夢見る。そのためなら無理難題にも応えてくれる。

オレンジみたいなツラしてるオレには出来ない芸当だ。愛嬌では負けるとアンディは笑うが、女に通じないんじゃ意味がない。もじゃもじゃした髪に手を突っ込んで、さっきの話を思い返す。

アンディが生まれ故郷の話をしたのは出会った頃に1度だけ。ウェンズミート生まれで人外の支配者を昔話と思っていたタリムは、思わず身を乗り出して頭をはたかれた。東大陸に住んでいるのは絶望の中で日を送る、無気力な人々と思っていた。当たり前に暮らしてるってのが意外だった。

それにアンディだって人ならざる城主を知らない。姿を見せなくなって何十年。きっと寝すぎて灰になっちまてるんだと笑っていた。ヴァンパイアに怯えて眠る夜は、アンディの故郷でも昔話だと。

「きれいな男か」
「男に使う言葉じゃないな。アンディは精悍《せいかん》ってやつだろ。今朝ついた金持ちのぼんぼんがキレイだと女どもは騒いでたが、俺は虚弱な男は好かんな」
「金と顔に恵まれても病気がち。人間そんなもんかもな」

「お供のおっさんは気に入ったけどな。豪快で太っ腹。おまえらもそういう歳のとり方するんだぞ」
年下はみんなガキ扱いか。タリムは内心そっと舌を出した。

城の使い。吸血鬼の手下。魔物に心奪われて人の苦みを喜びと感じる裏切り者。主の命令で村娘をさらっていったり、逆らう者を殺したりするのか。あの愛想の良いヒゲのおっさんが?

普通のおっさんに見えた。目が据わってたり、陰険で冷酷な感じの悪党だったらまだ信じられる。アンディの恋敵になりそうな病弱な男が、魔物かも知れないなんて妄想もいいとこだ。

だけど様子を見るだけ確かめるだけと上がっていったアンディは、まだ戻らない。興奮した声。ヤツだとしても昼間は無力だと笑った顔。まさかと笑い飛ばしたい気分を、イヤな予感が押しつぶし始める。

「遅いな」
「恋人の時間を邪魔しちゃいけないよ」
給仕の気取った言い方が鼻につく。オレンジの酸味が喉を刺す。

しかめた顔を見せたくなくて表の方に目をやると、灰色の法衣をまとった娘と目があった。笑み崩れた給仕がオレンジを注いだカップに、貴重な氷を放り込む。玉子とバターの香りがする渦を巻いた焼き菓子と一緒に、娘が座った奥の席へ運んでいく。

「おごってくれんの?」
「もちろん」
抜け目の無い娘の笑顔。ドリーより若いから見習いだろう。でも、上には力をもった司祭や聖女がいるはずだ。

丸いテーブルを挟んで、娘の前に座った。
「何か用?」

金茶の髪がいろどる小さな顔は愛らしいが、紺色の眼はキツい。男の背中にすがる女じゃない。タリムなんぞハナも引っ掛けない自信たっぷりの態度。口説きだと誤解されたらヒジ鉄だ。

「ヴァンパイアがいる」
本題から切り出した。
「まさか」

鼻で笑おうとした娘の目が閉じられ、舌打ちと共に開いた。
「どこに?」
タリムは上を指差した。
「北東の一番いい客室。様子を見に行ったオレのダチが戻らない。頼む、あんたの師匠を呼んで来てくれ」

娘は口を尖らせ、腕組みした。
「シリル辺りじゃ吸血鬼が増えてるらしいけどさ。港では乗客も船員も1人残らず聖水かけて確かめてる。荷物も全部開けて魔物が隠れてないかあらためてるし。ベスタに入り込むのは無理だと思う。
…一応は確かめるけど。案内してくれる?」

「危ないんじゃないかな」
アンディの話が本当なら、見習い聖女の手に負える相手じゃない。
「新参の魔物なら昼間は無力よ。歳を経たヤツでも陽のあるうちは半分も力が出ないんだから。ほら、護身用の聖水」
テーブルにガラスの小ビンが置かれた。

タリムはビンを掴んで立ち上がり、重い足取りで階段を登った。すぐ後ろから聖女見習いがついてくる。扉の前で不安になって振り返った。
「不用意に近づかなければ大丈夫。でも目には気をつけて」
教会の人形劇でも、邪眼に気をつけろと言ってた気がする。

「扉は開けとくね。ヤバそうならここまで逃げるの。明るいところには出てこれないんだから」
背中を叩かれて暗い部屋に入った。腹に力を入れる。今逃げたらこの娘は1人で確かめに行く。テンプルで修業して腕っ節が立っても、たとえ相手が魔物じゃなくても、若い娘1人に危ない事を押し付けられない。

足音を忍ばせて奥の扉を少し開ける。隙間から覗いたが、暗くて何も見えない。

手をついていた扉が不意に大きく開け放たれた。よろめいたとき、娘に尻を蹴られて床に這いつくばった。

顔を上げるとアンディの後ろ姿が見えた。寝台の側にひざまづいていた。腕はだらりと垂れている。栗色の頭を白い手が掴んでいる。肩にも白く長い指がクモの巣のように広がっていた。

アンディの少し傾けられた首筋の向こうから見つめている眼。うなじの生え際の毛が逆立つ。アンディの頭と肩に這っていた白い手が消える。

薄青のシャツに包まれたアンディの上半身が、うつぶせに寝台に倒れ込む。

「連れてきてあげたわよ。貸し1つね」
勝ち誇るような娘の声。
後ろで扉が閉まった。

暗闇に取り残されてあたりを見回した。寝台に目をこらしても人影は見えない。握りしめた小ビンの栓はカタくしまっていた。

あの娘はどうしてこんな事をする。
震える手を固い栓にかけた。冷たい手が体に触れたら聖水をかける。聖水はヴァンパイアの肌を焼く。怯んだスキにアンディを引きずって明るい廊下まで逃げる。

でも指が痛くなるだけで栓はビクともしない。口で開けようと栓を噛んだとき
「それは多分、ただの水です」
意外と遠くで声はした。

明るくなった。光源は芽を象った淡い緑の壁際のランプ。側に白いシャツ姿のヤツが立っていた。薄く笑っている。細いし色も白い。でも病弱には見えない。精気に満ちた力強いモノに感じた。

「いや、イタズラ好きの彼女の事だから、本物の聖水かな。だとしても、あなたの歯を痛めるほどの価値はありません」

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