高地にいた間は黒みがかっていた夕空が、全体的に赤く明るい。またたきだした星も鮮明さを失い、眼下を流れていた雲が霧のような顔をして行く手をよぎる。
北からの登りに比べると、南への下りはおそろしく急だ。
はるか下にきらめいていた川が、白い滝となって落ち込む青い淵《ふち》のほとり。レンガ造りの山荘の客室で、アレフは目を閉じ、しもべの心に飛ばしていた。
「見つけた?」
ティアの声に、意識が引き戻される。夜に染まりゆく滝つぼと、行く筋にも分かれた水のカーテンが、目に映った。絶え間ない水音は、密林の雨より騒がしい。
街の高級な宿屋に劣らない調度にガラスのはまった窓。浴室に酒場、そして個別の客室。旅人や行商人だけでなく、夏は避暑をかねて登ってくる物見遊山の客もいるようだ。流水ですらわずらわしいのに、大量に落ちる水をわざわざ見に来る者の気が知れない。
「街道沿いの教会を中心にウワサを集めさせているが、曖昧なものばかり。東へ向かったのかも知れない。モルがベスタに着く前に、こちらが有利になるような結界を整え街道で不意打ちすれば、勝てる望みも…」
「ベスタで迎え討つんじゃないんだ」
横で籐色の果物をかじりながらティアが物騒なことを言う。街中で互いに攻撃呪を使い、武器を振り回したときの惨状を想像できないのだろうか。
「関わりの無い者は出来るだけ巻き込みたくない」
御者や他の乗客のケガや死も避けたいが…駅馬車を襲うなら、それは無理な話か。
「なりふり構ってられないと思うけどな。アニー達より頭数おおいし腕も立つと思う。数十人ほど転化させて足止めに使って、敵味方いっしょくたに攻撃呪とかやんないと」
また無茶を言う。
「私が滅ぼされたら、吸血鬼化した者たちは灰と化し二度と復活できなくなる。そんなサギ同然の不死など与えられない」
「でも、普通の人にイモータルリングつけさせても役に立たないと思うよ」
ティアから聞いたモルの人となりが真実なら、生身のしもべを盾とするのは愚策だ。
「モルを仲間から引き離し、3対1人に持ち込む方法を考えた方が利口か。いくら腕が立っても生身の人間なら」
「どうかなぁ。騎士が2人、ずっと一緒にいたよ。風呂でも便所でも。あいつ人間の敵も多いから油断しないと思う」
首をふって不毛な会話を打ち切る。ティアからの伝聞だけでは、主観が入りすぎて実像がつかめない。強い魔力と豊富な知識を持ち、人を人と思わないインケンで大胆な男か。
居場所を特定し、使い魔を放って当人を観なければ、暗殺のための策など立てようがない。
ノックの音に応えると、夕食の盆を手にしたスレイがドルクに付き添われて入ってきた。
「ここで、働けるよう話しつけてきました。その方が、お探しの野郎が泊まったとき、話しかけやすいから」
歓声をあげてテーブルについたティアの前に、ツボ煮のシチューや焼きたての干し果入りのパンを並べていた手が止まった。
「本当は敵討ちなんて、やりたくないんでしょう。滅びるかもしれない危険も、お嫌なんでしょう」
うつむいたままの低いささやき。血の絆で結ばれたばかりの、一番近しいしもべに心を隠すのは難しい。
「ずっとここに居ましょう。滝がお気に召さないのなら、近くに使われなくなった別邸が何軒があるから、そこで4人で暮らしましょう。おれの血に飽かれたら、美女でも活きのいい若者でも、お好みのをベスタから連れてくるから」
おのれの血が主を支えているという自負に執着が混ざり合い、熱く重い感情となってほとばしる。
ドルクの目が揺れる。似たような事を考えていたのか。東大陸を離れたあと、中央大陸の辺鄙《へんぴ》な村に居を構え、喰らい尽くし、最後はならず者の仕業に見せかけるため、火を放ち村ごと葬る。ベスタ近郊の廃屋生活よりは長持ちするかも知れないが…
「逃げ隠れしたところで、一時しのぎだ。モルを倒すのも一時しのぎだが、何もしないでいるよりは、気がまぎれる」
英雄と喧伝《けんでん》した若者を殺されたら、テンプルは総力を上げて私を滅ぼしにかかるかも知れない。大司教となる新しい英雄を作るために。
定められた地位を守り役目を果たし、外からもたらされる滅びの時を待つより、心のままに振舞う事を選んだ。その結果、滅びても、最後の瞬間に納得できているならいい。
「自前の闇の子を戦いの道具にしたくないってんならさ、元司教サマがシリルで増やしてる吸血鬼を借りちゃうってのは、どう?」
パンをちぎりながら、ティアが笑った。
「それなら断末魔の心話で胸が痛むこと無く、利用できるんじゃない? 利害もイッチしてるしさ」
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