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吸血鬼を主題にしたオリジナル小説。 ヴァンパイアによる支配が崩壊して40年。 最後に目覚めた不死者が直面する 過渡期の世界
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悪夢が身を潜めた密林は、はるか後方。
街道をゆく馬車から見えるのは明るい草原。長い影を落とす高木の向こうには、草を食む無数の牛。道を食い荒らす事もあるようで、思わぬ揺れがルーシャに吐き気を誘発する。

10年前はもっと暗かった。地下に埋設された水路が、細長い森を作り出し、街道を草の層でおおっていた。
陽を嫌う魔物が駆った大地を往く船。最速を誇ったのは、均一な草丈の道のみ、だったらしい。

ようやく人が手にした光の道に、再び闇を広げるわけにはいかない。

「煙が見える。迂回するぞ」
御者の声に、ルーシャは喉を焼くヘドを飲み込んだ。横からティアが気遣わしげに覗きこむ。グラスロードを外れたとたん、馬車のスプリングが激しくきしみ、速度が落ちた。

乾季の火事は草原を蘇らせる自然の恵みだが…
「野火じゃないな」
ハジムが眉をひそめる。左目の視力が落ちた分、鼻が効くようになったらしい。牛が逃げてくる左前方。黒煙を上げる城壁が地平からせり上がってきた。

ジガットの町は規模のわりに守りが弱かった気する。襲ったのが野盗の群れか、放牧地の境界でモメていた隣町なのかは分からない。確かなのは手遅れだという事だ。あそこまで火が回っているなら、襲撃者は略奪を終えて立ち去った後だ。

不用意に救助に行って、よそ者への恨みを向けれてもつまらない。駅馬車と保護した少女を危険にさらす事にもなる。いま出来るのは、寝心地のいい宿坊を備えたジガットの教会が焼け残るよう祈る事だけだ。

「ばか」
つぶやく声。車酔いを紛らわせようと窓から顔を出していたルーシャが振り向くと、照れたようにティアが手布を差し出した。
「火事って雨を呼ぶのね」
後方に過ぎ去ろうとしているジガットを見ると、城壁の上に黒い雲が生じていた。ススを含んだ黒い雨が、生みの親である火事をしずめる。皮肉な光景だ。

もし隣町とのいさかいなら、ジガットの報復に巻き込まれるかもしれない。大事をとった御者は、ふた駅ぶん馬車ウマに無理を強いた。

平穏なネインの村に駅馬車が止まったのは夜半。馬だけでなく乗客も限界だったらしい。小さな駅宿はすぐに満室となった。

男女相部屋となった1室で、2つしかない寝台は女性2人に譲った。床に外套と借り物の毛布を延べる。さっきの手布の礼に、ルーシャは通信筒をティアに渡した。

「君は愛されていますね」
かれこれ11本目。立ち寄った全ての教会にルーシャ宛の通信筒があった。全てが同じ内容。偽吸血鬼を追うな。ティアを保護したなら速やかに連れて戻れ。

教室が1つしかなく、ワラの塊を土で固めただけの、粗末なネインの教会にまで届いていた。女色には心ひかれぬ師が、いまさら老いらくの恋とは考えにくい。だが師弟愛というには偏執的だ。

ルーシャが報告書をハトに託し、エクアタの駅から飛ばしてだいぶ経つ。そろそろ内容の違う通達にお目にかかりたい頃合だ。

ティアの監視をアニーとオットーに任せ、ルーシャとハジムは階下の酒場に降りた。上の3人のための野菜のツボ煮込みとパンを亭主に頼む。

ヒゲの下働きが、料理と一緒に頼んでもいない酒ビンを盆に載せて客室へ上がるのを見て、ため息をついた。酔っ払ったアニーに絡まれながら、硬い床で眠るのはむずかしい。

ルーシャが頼んだ押しムギのカユが来る前に、挽き肉と米の菜包みが、ハジムの前に置かれた。その健啖ぶりをうらやましく眺めながら待っていると、亭主が語るジガットの惨劇が耳に入ってきた。
命からがら逃げ延びた者から聞いたらしい。

城郭内に転がる無数の死体。哀願に応えたのは嘲笑。命乞いは剣に断ち切られ、幼児と老人が火にくべられた。女と家畜は縄打たれ一列になって、財貨を積み上げた荷馬車の後を引きずられていった。

人を食らう者がいなくなったあと、人は奪い殺し焼くようになった。些細な言いがかりをつけては繰り返される惨劇。
今回は、人さらいの引渡しに応じなかった…それが理由らしい。反目しあっていた町同士。理由は何でも良かったのだろう。

食欲のないまま、置かれたカユに見え隠れするムギのスジを数える。付き合いで座っているハジムが居眠りをはじめた。珍しい事もあるものだと、微笑ましく寝顔を見ていた時。

「ここ、いいですか」
他にも空いている席はある。同席の目的を探ろうと目を上げた瞬間、ルーシャは凍りついた。

深く被ったフードから覗く細いあごは白く、口元は鮮やかに紅い。背後に天井から吊り下がったランタンがあるのに、テーブルに黒衣の男の影はうつっていなかった。

「破邪の呪など唱えませぬように。ここにいる者が咲かせる血の花。私には好ましい見ものでも、あなたの好みではないでしょう?」

いつのまにか酒場は静まり返っていた。ルーシャが見渡すと、客も給仕も喉元にナイフやフォークを自ら突きつけ、無言で微笑んでいる。催眠術…いや、死をも望むとなれば血による呪縛。

悪夢の様だった。

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