唇に熱いしたたりを感じる。
血にこもるのは焦りと目覚めを切望する想いと…強い恐れ。
渇いているからといってドルクを襲う事などありえないのに。
いつもどこかで死を意識している人間臭い従者に、微笑みかけて安心させてやろうとしたが、乾いた唇も舌も動かなかった。まぶたも目に貼りついたように動かない。胸の上で組んだ手も石の様に痺れていた。
長い眠りの中で筋肉が動き方を忘れてしまったらしい。
笑いの発作が起きそうになったとき、唇の隙間から鉄臭さと塩辛さが染み込んできた。固まっていた舌が動きを取り戻し、全身の痺れが解けていく。
同時に、キリキリとした痛みが皮膚からも内臓からも押し寄せる。強く意識しないと指一本動かせない。目を開くというのは、こんなに努力が要ることだったろうか。
「お目覚めになりましたか」
従僕の衣装をキツそうに着込んだオオカミという図は、いつ見ても不思議に和む。蝶ネクタイくらい外せばいいのに。頭以外の骨格は人に近いから、見掛けほど苦しくはないのだろうが。
それにしても、なぜ泣いている?
「落ち着いて、聞いてください。御父上が…ロバート・ウェゲナー太守が」
ついに勘当されたか。
ネリィを喪ってから夜が明けるまで泣き続け、最後には血の涙も枯れて、夜会服のまま倒れこむように死の眠りに逃げ込んだ。切れ切れの悪夢の合い間に、真始祖ファラ・エル・エターナルの滅びを知った。
ネリィはあの夜、不死の源泉を絶たれて、腕の中で解け崩れ灰も残さずに消失したのだ。選ばなかった幾つもの選択枝と可能性が、後悔とともに心を刻み、やがて考えることをやめてしまった。
あれから何年くらい眠っていたのだろう。領民を庇護する義務を長年にわたって放棄した。太守の称号はとうに剥奪されているだろう。
「御父上が、滅ぼされたという知らせが…」
「え…」
思わず身を起こしたあと、関節の強烈な痛みにうめいた。
何年ぐらい眠っていた?
くちづけを与え血の絆を結んだしもべ達の意識に心を飛ばす。
カウルの代理人は健在…だが、だいぶ繋がりが弱くなっている。
他は…ない。
キニルの事務所、スフィー、シリル、そしてクインポート。主だった都市や貿易港に置いていたはずの代理人たちの意識が失せている。バフルの代理人からの応えもない。
かつては眠ったままでも手に取るように知ることが出来た世界から、完全に切り離されていた。
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