聞き覚えがない男の声。でも、人間の声だ。助かった。テオは振り返った。そして、ホタルにしては明るい光の粒を掲げてる、金色の髪の女の子と目が合った。
小さな顔は日に焼けてる。化粧っ気はない。着てるドレスは地味で厚くて長い。色気はないけど、生身の女の子だ。
白すぎる肌を薄絹の下にチラつかせる、緑の髪の女たちが急に色あせて見えた。いくら美人でも、ムネがデカくても、まばたきしないドライアドは味気ない。クラっときて触ろうとしても手がすり抜ける。
それに、このまま樹霊に囲まれてたら、明日の朝は百年後。俺はヒゲと白髪に足まで包まれた、ジジぃになってたかも知れない。
「助けてくれ」
女にドライアドの魔力はきかない。掴んで引っ張り出してもらおうと右手を伸ばした。女の子と俺の間に幾つもの緑の髪が立ちふさがる。
「あなた様にこの方は渡しません」
「殺させぬ」
「私らが守るんだから」
森全体が風もないのにざわめいた。葉ずれと無数の女の声。混ざりあって何を話しているのか聞き取れない。甲高い嵐のようだ。
よく見ると、女の子の両脇に人影が2つ。
白木の弓と矢筒を背負った皮チョッキの男は、光とヒゲのせいか獣めいて見えた。腰には手斧。黒金の手甲にスネ当て。この辺では珍しい厚い毛織地のズボン…よそから来た武人かも知れない。
もう1人は日陰のカワズ瓜みたいな細い男。顔も着てるモノもツルっとして薄い。片手で簡単にヒネれそうだ。
ドライアドがまとう緑の光が揺らめいて広がる。女の子は平気でも、横の2人は緑の力に絡めとられるんじゃないだろうか。
「逃げろ。あんたらまで捕らわれるぞ」
叫んで、手を振り回した。
ヒゲの男は背負った弓を指差した。
「わたくしは平気です。トネリコの娘の庇護下にありますから」
あれは…ドライアドが身から削り出した丸木弓。ヒゲのおっさんは森に選ばれた勇士なのか。
「この娘の言う事を本気にするな。その若者を害する気はない」
軽く突くだけですっ転びそうなヤツに、どうにかされる俺じゃない。思わず吹いたら、向こうも笑ってやがった。偉そうなこと言って照れたのかな。
「シリルに連れ帰りたいだけだ」
「俺は帰らない! あいつらをぶっ倒すまでは」
女の子が首をかしげた。
「…死にに行くんだと思ってた。そのデカい剣、銀じゃないし破邪の紋も刻んでないし」
「これで吸血鬼を倒したんだ。切れ味のいい細身の剣だと、すぐに傷はくっつく。だから銀じゃないとダメだ。けど、大剣で骨も身もツブして引きちぎるように振り抜けば、簡単には治らない。首を飛ばして胸を断ち割れば、やれる」
灰になるまでの数瞬は、エグい事になる。あまり気持ちのいい感触じゃない。けど、倒せるのは本当だ。
「なるほどね」
女の子が鮮やかに笑った。
「じゃあさ、優秀な聖女とその他2人、いらない?」
灰色の法服に破魔の紋。銀のネックガードにミスリルのスタッフ。腰紐は生成りの白。若いし見習か。でも確かに、テンプルの聖女の格好だった。
「けど、聖女ってのは、もっと神秘的で美人で優しくて」
「そんなにホメても何も出ないって」
無い胸をそらす女の子のカン違いを訂正しようと思って…やめた。女の評価は面と向かって言うもんじゃない。昔、タック伯母さんに叩かれてデカいコブが出来たっけ。
黒服着た細いのが、聖女見習いのソデをつまんで引っ張って話が違うとか文句言ってる。
「あれね、ムリなんじゃない?バックスのヤツ、全然なってないもん。統制取れない手下なんて、何百人いても邪魔」
「なら、どうやって」
「パーシーさんに聞いたんだけどさ。ドラゴンズマウントに竜が1頭、生き残ってるらしいよ」
俺をほったらかしにして意味のわからない事をささやき合ってる。面白くない。
「俺を手伝ってくれるのか?」
大声を上げると、ドライアド達と3人が話をやめて、俺の方をを見た。今まで騒がしすぎたから、静かすぎて耳鳴りがした。
「どっちかっていうと、手伝ってもらう、かな。教会がマトモだったら耳をそがれるくらいの銀貨を鋳潰して矢じり作ったけど、弓って素早く射てないでしょ。あたしの浄化の術も時間がかかる。こいつの火炎呪もそう。足止め役の、強ぉい剣士か拳士がいたら助かるなぁ」
「テオを盾にする気ですか」
深いため息をついた細いのが、物入れから出した小さい輪を投げて寄越した。
「利き手じゃない方の指にはめて下さい。お守りです」
赤い石か、木を染めた指輪だった。なんでこんな物。
「あたしとおそろいだよ」
聖女見習いが赤い指輪をした手を上げて見せた。投げ返すのを思いとどまって、左薬指にはめる。ゆるかった輪が生き物のように指を締めつけて外れなくなった。
「何だ、これ」
「呪いの指輪…なあんてね」
聖女見習いが笑う。マジ、か?すぐに体温に馴染んで違和感がなくなる。それがかえって無気味だ。
「これで、この男は私の庇護下に入った。森の貴婦人方には手をお引きいただきたい」
俺の前にいたドライアド達が振り返り、呻いてうつむいて、去っていった。最後にカエデの葉を散りばめた緑の髪が首筋をなでて、飛び去る。お前はバカだと捨てゼリフを残して。
「けど、ドライアドたちに案内してもらわないと、城へは」
彼女たちに捕まって半日以上。暴れたいのをずっと我慢していたのはそのせいだ。
「ご案内します、アレフ様」
ビーズの様にドングリをちりばめた、ふくらんだドレスの大女が現れて、優雅に会釈した。結い上げた髪にも茶色いドングリが散っている。
あたりに緑の光が満ちる。穏やかな光の中で森の木々が形を失う。灰色の闇の中で、足元が浮いた。川で溺れたときの様に、どっちが上か下か分からなくなる。テオはもがいた。急に、前のめりにこけた。頬に柔らかな草が触れた。
「御身に幸運を。どうかこの地から憂いをおぬぐい下さい」
緑の光が消えて、闇が戻った。ほのかな光は聖女見習いが掲げていた…違う、もっと青白い光だ。
顔を上げると、月明かりに5つの塔がぼんやりと浮かぶ城館があった。
「これが、吸血鬼の棲み家」
身を起こし、剣帯を握り締める。
ふと、これから一緒に危地に飛び込むのに、互いの名前も知らないのはどうかと思った。
「なぁ、聖女見習いさん、あんたの名前は」
「あたしはティア。そっちの弓使いは…ダーモッド・ブースだっけ。それと」
「アレフ、だよな。さっき樫の女王みたいなドライアドがそう呼んでた」
細い顔が引きつっている。
「名づけ親を恨むなよ。きっと知らなかったんだよ。俺だって、去年までは吸血鬼の親玉がそんな名前だったなんて知らなかったんだから」
「そう、ですね」
暗い顔でアレフがうつむく。ビビってんのかな。でも、俺は怖くない。怖いことなんかあるもんか。
ティアの熱い視線を背中に感じながら、テオは城に向かって一歩踏み出した。
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